Conquest for Rockaxe.

――彼は、黙って僕の背中を押した。
僕は、無言で彼の瞳を伺うように振り返った。
彼のしっかりと引き結ばれた唇からは、なんの表情も読み取ることが出来ない。
彼の眉は、いつものようにくっきりとしたラインを描いている。
――何も、変わらない。
普段と。
――ただ
……彼のその意志の強さを感じさせる瞳だけが、凛と輝いていた。
僕は、何も話すことが出来なかった。
今の彼には、何もいらないのだろう。
僕の言葉なんて。
彼の瞳に映っているのは、ただ目の前の故郷だけなのだ。
僕は、無言で彼の視線を追った。
白と、赤と、青。
上空を吹く強い風に煽られながら、誇らしげにはためく騎士団の旗。
僕はしっかりと目に焼き付けた。
僕たちが、目指す物。
その、最後の雄姿を。

* * * * *

「御無事ですか、殿」
刃先についた返り血を振り払いながら、彼が振り返った。……壁に染みてゆく鮮血。彼は無言で近づくと、僕の頬についた血をその指でぬぐった。
「大丈夫だよ」
「そうですか」
「うん」
「……殿、顔色がすぐれませんね」
「平気だよ」
「……そうですか」
彼は深い色の瞳で一瞬僕の瞳を覗くと、踵を反した。いつもなら時を刻むように正確に響く彼の足音も、今は鈍い音をたてて壁に反響している。血のぬかるむ廊下は、以前に感じた気高さを完全に忘れ去っているかのように見えた。
「ねえ、マイクロトフさん」
「なんですか?」
僕は彼の歩調に合わせるように、早足で彼を追う。……もう、何時間歩いたのかも解からない。それでも僕は彼を追うように、走った。
「あ……なんでもない。 ごめんなさい」
「……殿?」
「なんでもないんだ、ほんとに」
僕は彼の隣に並んだ。時折、鉄のにおいを含んだ生暖かい風が、頬をかすめる。あんなにうるさいと感じていた人々のざわめきも、叫びも、怒号も、悲鳴も今は何も聞こえない。ただ遠くで耳鳴りのように、金属のぶつかり合う鈍い音が響いているだけだ。僕はほんの一瞬彼の瞳を見つめた。ナナミたちは今どこにいるのかな……。僕は不意に数時間前に分かれたナナミたちの顔を、一瞬思い浮かべた。
ヒュッ
――風を切る、音。
「――殿……ッ!」
「……お命――頂戴……ッ!!」
「……ッ!!」
瞬間、目の前を剣先が閃く。僕はとっさに横に身体を反転させると、床のぬかるみへと転げ込んだ。目の前に逃げ遅れた前髪が散る。
殿……ッ!!!」
彼の叫び声と共に、鮮血が飛ぶ。
ドッ……!!
彼の剣が骨を砕く鈍い音が響いたのは、その直後だった。
「マイクロトフ様……御覚悟――!!」
決死の覚悟で、もう一人の騎士が横から飛び出す。
「な――囮……だと……?!」
キィィィィン!!
剣と剣がぶつかり合う。彼らは互いの剣の重みで弾かれながら、しびれる指で柄を握り締めた。彼らは負けられない理由がある者の強さを、十分に知っている。そして、それが大きければ大きいほど強いことも。
「マイクロトフさん……ッ!!」
僕はヌルヌルと滑る血腥い廊下を必至で駆け、彼の後ろから現われた3人目の白騎士へと、前のめりに肩で体当たりをした。僕と白騎士は、同時に重なるように床へと倒れこむ。
「――くっ……」
カランッとトンファーが床を転がる音がきこえ、体中がギシギシと悲鳴をあげる。しかしそれでもなお、僕の手はかの白騎士の剣帯からショートソードをつかんでいた。一瞬のつかみ合いの後、僕は渾身の力を込め、その鎧の繋ぎ目へと剣を振り下ろした。
「ゴボッ……」
ゴキッという手ごたえと共に、ヌルリとした生暖かい感覚が僕の頬を伝う。
ガキィィィン!!
胸の悪くなるような軋んだ金属音が壁にこだまし、一瞬にして気の遠くなりかけた僕を現実世界へと引きずり戻した。僕は弾かれたように顔を上げる。見ると彼はそのまま白騎士を力任せに突き倒し、そのひしゃげた鎧から露になった喉もとへと自らの剣を突き立てた。ほとばしる鮮血が、壁と白騎士の証である白銀の鎧を真紅に染める。
「はぁっ……はぁっ……」
……僕の手が、震えている。いったいどこまで続くのだろうか。
「…………殿っ……」
「大……丈夫……だよ」
荒い息と共に発せられる言葉には、相変わらず感情が見られない。……ただ、瞳だけが静かに燃えている。僕は言葉を失った。
彼は――自らこの計画に志願した。一同の誰もが我耳を疑った……彼の親友を除いて。
――『罪滅ぼしだとか、贖罪だとか……俺はそのようなことは考えていません』
彼の言葉はいつまでも僕も耳に残った。

* * * * * *

僕は、ともすれば止まってしまいそうな足を必死で叱咤しながら彼の後ろをかけた。……身体中の力が抜けてしまっても、僕の身体は何かに突き動かされるように彼の姿を追う。廊下には僕たちの靴音だけが響き渡った。
彼の親友は――微かに微笑むと、静かに同意した。
――『では、私も共に参りましょう』
僕は、ただそれを見つめていた。
「……はぁっ……はぁっ」
汗と返り血で濡れた額に、前髪が張り付く。僕は目の中に入ってしまった汗を手の甲でぬぐいながら、髪をかきあげた。
「……もう少々です、殿」
僕は無言で頷く。彼はそれを見ると、少し安心したように再び足を速めた。明り取りの窓から差し込む日差しが、傾きだしている。僕は唇をかんだ。
「――マイクロトフさん……」
「……はい?」
「……勝とうね」
「……そう……ですね」
彼は前を向いたまま、それだけを答えた。僕はもう、振り返らない。
「……あそこです、あそこにカミュー達がいるはずです」
――『それでは、また後で。マイクロトフ、殿をたのんだぞ』
――『……ああ、わかっている』
僕は長い長い廊下を走り続けた。数時間の間に見慣れてしまった、無限回廊のような道。それをただ一直線に駆け抜ける。……不思議と、苦痛はなかった。
「――殿」
僕は隣を走る彼の顔を見上げた。
「……勝ちましょう」
彼はただ、それだけを言った。
僕は微かに不規則に積み上げられ入り組んだ階段を、よろけそうになりながら駆け上がる。
「見えました……!」
「……!」
太陽の光が視界を遮った。上空を吹く風が、僕の髪を舞い上げる。瞳を細め視線を落とすと、その眼下をロックアックス城下の町並みが広がった。僕は無意識のうちに縁へと手をかける。……クッと喉が鳴った。
「…………殿」
そうか……。
養父が――ゲンカク爺ちゃんが生前言っていた言葉を……僕は今不意に思い出した。
――『たとえ……他の誰から見ても愚かだと思うようなことだとしでも、お前たちが信じた道を進みなさい』
吹き上がる風が、彼――マイクロトフの髪を揺らした。
「――頑張ろうね」
僕は微かに笑った。
「…………殿……」
彼は初めてほんの少し困ったように表情を崩す。それでも――しっかりと頷いた。
「――……い…おー………おー―い……――!!無事なの――?!」
遠くから、ナナミの声が聴こえる。
「行こう、マイクロトフさん」
「……はい」
彼は町並みから瞳を離すと、それだけを答えた。
僕らは走り出す。
僕らが目指す物に向かって。

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