Encounter |
その聡明そうな少年は、零れ落ちそうに大きい澄んだアクアマリンの瞳で自分を見上げていた。 流れるような黒髪に、薄く日焼けした肌。 しかし、その焼けた肌の色からも、ジャナムには珍しい本来の肌の白さが伺えた。 年の頃は7〜8歳。 髪も服もきちんと手入れをすれば、驚くような美少年になる事だろう。 しかし、一番に印象に残ったのは、まだあどけなさの残る顔に反して、至極冷静で意志の強さを凛と灯した瞳。 「戦争孤児だそうだ」 第1魔道兵団大尉であるラージはそう言うと、その少年の背を押した。 「本来なら孤児院に入れるところなのだが……というか、実際今まではそこに居たんだけどな、本人たっての希望で魔道兵団に入隊したいというんだ」 そういってラージはアスアドを見据える。 「しかし、ラージ大尉、少年魔道兵団の入隊は10歳からでは?それに、入団には魔道兵少尉以上の軍人か、それに相応する地位を有する方の推薦状が必要なはずですが……」 アスアドはそう入隊受験要綱を諳んじると、ラージを見上げる。 事実、アスアドも当時の魔道兵団少尉……ラージに推薦状を貰い、10歳で入隊した。 「推薦状はオレが書く。年齢の事は、王立魔道院がお墨付きを出したからな……。彼の知力、魔力双方共に年齢が満たずともなんら問題なし、と」 ラージはそういうと、その少年――の頭を優しく撫でる。 「なあ、アスアド。まだ若いお前には解らんかも知れんが、今のこの軍紀では貴族や有力者の縁があるもの達だけが優遇される状態だ。現にアスアド、お前もオレもそういう部類だ。お前の少年兵団の仲間達もそうだろう?皆、貴族の息子か、有力者の縁の者たちだ。」 ラージはそういうと、空を見上げる。 現実には、平民の兵も沢山いる。 しかし彼らは殆ど、昇進のレールからは除外されている。 いや、厳密に言えば制度で除外されているわけではない。 平民の出でも少年魔道兵団に入隊し、エリート教育を受けさえすれば、将校の道も開ける事にはなっている。 しかし、現実には先ほどアスアドが言ったように、入隊にはある一定以上の位のものの紹介状……つまり有力なコネが要り、更には厳しい知識と教養が要求される。 一般市民には、実際そのどちらもが得られないものであった。 「オレはな、アスアド。それに風穴を開けたいんだよ」 アスアドにも、そういう思いが無いわけではなかった。 しかし、実際今の彼の力ではどうしようもできない事。 それを、ラージはやろうとしている。 「解りました、ラージ様。……で、オレは何をすればいいんです?」 アスアドはその決意を秘めた目でラージを見上げる。 ラージは、そんなアスアドの表情を見て破顔した。 「名前は。こいつはお前の隊に配属するから、面倒を見てやってくれないか?恐らく……貴族でも有力者でもない彼は、軍の中で苦労する事も出てくるだろう。そんな時、力になってやって欲しい」 「解りました。精一杯努力します!」 アスアドはそう答えると、に視線を落とす。 「オレはアスアド。第3少年魔道兵隊の隊長だ。よろしく、」 「……よろしくお願いします」 初めて聞くの澄んだ声は、その意志の強さをあらわすように凛と響いた。 ふわりと柔らかな風がの髪をふわりと躍らせる。 照りつける太陽にさらされ、砂埃の舞う町並みには到底似つかない涼やかな光景に、街の女たちはみな一様に憧憬のため息をついた。 すらりとした痩躯、優雅な身のこなし、整った顔立ち。 加えて、いまやは帝国魔道兵団の将校である。 女達が憧れるのも無理はない。 はそんな女たちの視線を物ともせず、目的地――帝国魔道院への道のりを急いでいた。 「……おや、これは殿」 帝国魔道院につくと、顔見知りのムバルがを出迎えた。 相変わらず魔道関係の分厚い本を片手にテーブル越しにであったが。 「こんばんは、ムバル殿。姫様はおいでですか?」 は挨拶もそこそこに、そう切り出す。 「相変わらずお耳が早い。マナリル様でしたら、リズラン様が今日は朝からお出かけになってらっしゃるので、お休みになられていますよ」 ムバルは苦笑しながらそう言うと、今朝方の幼い姫君の言葉を思い出す。 ――今日はお母さまはおでかけなのでしょう?殿は、マナリルのところにきてくださるかしら? まるで、マナリルの希望を聞きつけたかのように、この青年は現れる。 例え仕事がどんなに忙しかろうが、時間がなかろうが、たった数分のためにでもはマナリルに会いに来た。 「そうですか。じゃ、失礼します」 はそう言うと、慣れた手つきで地下へのドアを開ける。 「後でお茶をお持ちしますよ」 ムバルは足早に去る後姿に、今度は優しげな笑みを浮かべそう告げた。 そもそも、マナリルとの出会いはが帝国魔道院の魔術に関する研究に協力しているところから始まった。 帝国魔道院は、の少年魔道兵団入隊に関する推薦状に一筆添える代わりに、彼が院の魔道研究に協力するよう条件をつけていた。 実際、彼の魔力は特殊であり、魔道研究の発展にかなりの貢献を残している。 そして現在でもその回数は減ったものの、時折魔道院に要請されれば出向くことになっている。 マナリルと出会ったのは、彼がまだ正規軍に上がったばかりの年。 その日も、要請を受けたは魔道院へと足を運んでいた。 魔道院に着いてみれば、リズランは急な用事で皇宮に出かけたという。 研究室で待つように言われ、手持ち無沙汰になったが書物を読もうとした時、何者かが足にすがり付いてきた。 「おかあさま……いないの?まなりるを、おいていっちゃったの?」 大きなアイスブルーの目に涙をため、を見上げる幼女。 それが、まだ幼子だったマナリルである。 それ以来、は暇を見つけてはマナリルの話し相手になっていた。 最初は皇女として外の世界を自由に出歩けない彼女の為に、そして今は……読み手として過酷な仕事を続ける自由のない彼女の為に。 「殿!」 待ち望んだの来訪に、マナリルは座っていた椅子を倒す程の勢いで立ち上がった。 そのままに駆け寄ると、その胸に勢いよく抱きつく。 はふわり、とマナリルを抱きとめるとその顔に苦笑を浮かべる。 「マナリル様、そう簡単に男に抱きつくものではありませんよ。男は危険なものなんです」 そう言うの言葉に、マナリルは驚いたように首をかしげた。 「でも……殿も、お兄様も、ムバルも私の知りうる男性はみな親切で……危険だなんて思えませんけど……」 「シャムス殿下は別として、それはムバル殿が例外なだけです。彼は女性ではなく書物が好きなのですよ」 真顔でそう言うに、思わずマナリルも微笑をもらす。 「これはまた心外な言い方を。折角お茶をお持ちしましたが、殿は要らないと見える」 の言葉に、茶と茶菓子の乗ったワゴンを引いたムバルがもっともらしくそう言った。 「まあ、ムバル。そんな意地悪を言わないで」 マナリルの言葉に、ムバルは苦笑する。 「もちろん、冗談ですよ。しかし、殿の言うことはもっともです。お気をつけください、殿を含め男は危険ですから」 「……ムバル殿」 はそういうとその端正な眉をわずかに寄せると、ムバルを見つめる。 「まあ、ムバルったら……」 マナリルがそういって笑うと、ムバルは肩をすくめて踵を返した。 「今日は夕方までリズラン様はお帰りにならないそうです。ごゆっくりどうぞ」 ムバルの言葉に目で頷くと、はマナリルに向き直る。 「さあ、お座りになってください」 マナリルはそういっての手をとると、テーブルにつかせた。 「また、いろいろな話を聞かせてください。兵団のこととか、演習のこととか、外のこととか……」 マナリルのアイスブルーの瞳を見つめ、は優しげな笑みを浮かべると勿論です、と頷いた。 マナリルの今日の顔色は、先日に比べて幾分いい。 先ほどのムバルの話ではリズランは朝から出かけているとのことであるから、恐らく今日は読み手としての仕事をしていないのであろう。 は小さく安堵のため息をついた。 「昨日は冥夜の剣士団との合同演習でした。噂通り、クロデキルド姫の剣の腕はすばらしかった。まるで、雷鳴です」 「まあ、それで?」 「我が第2魔道兵団の精鋭二人を同時に相手をしても、まったく引けを取らないどころか、完全に押していました。」 「すごいのですね……」 「ええ。あの腕ならば、アスアドたいちょ……様と、張る強さなのではないでしょうか」 実際は、アスアドは魔道による攻撃で中〜長距離戦を得意とし、クロデキルドは接近戦を得意とするので正しい比較にはならないだろうが、戦闘というものを経験していないマナリルにわかり易いよう、はそう言った。 「とはどうなのですか?」 「僕……ですか?」 予想外の問いに、はしばし言葉を止めた。 「アスアド様と張る強さのお方に、僕が敵うわけありません。惨敗ですよ」 「殿は、本当にアスアド殿を尊敬しているのですね。いつもアスアド殿のことばかり」 マナリルはそう言うと、ほうとため息をついた。 「どうしました」 「クロデキルド姫は、大層美人でいらっしゃると伺いましたが……殿、どう思われました?」 ああ、とは胸の中だけで苦笑をする。 幼くても、もう女性なのだ。 「そうですね、お綺麗でしたよ。ですが、僕としてはマナリル様のほうがお綺麗だと思いますけどね」 何の躊躇いもなくがそう言うと、マナリルの頬がサッと染まる。 「そ、そんな……」 正確には10年後にはそうなるだろう、という推測であったが、は気にしない。 10年後まで……そこまで考えては首を振る。 何があっても、マナリルを守ろうと、新たな決意を胸にする。 そう、あの時アスアドが自分にしてくれたように。 |
ブラウザバックでお戻りください。