アフロな宿敵と真摯な強敵

「……、自分のためだといっている。我侭を言うな」
「だってだって嫌なんだもん、嫌いなんだもん!」
「一体何が嫌だというんだ」
「形も、色も、匂いも、味も、全部、総て、何もかも嫌いなんだよ!」
必要最低限の家具しか置かれていないシンプルで閑静な室内に、彼……のヒステリックな声が響き渡った。
は目を僅かに涙で潤ませて、それでもまるで毛を逆立てた猫のように、一歩、また一歩と詰め寄る進に警戒心を顕にする。
「しかし、それでは栄養価が偏る。好き嫌いはいかんと常日頃からあれほどいっているだろう」
進はそう言いながらジリジリと後ずさるに一歩近づくと、ズイと黒い漆塗りの箸で摘んだブロッコリーを差し出した。
は自分がさほど好き嫌いがある方だとは思っていない。
出された物は大抵食べられるし、我慢すれば自分から普段食べようと思わない好きではない物でも口にする事は出来る。
しかし、そんなにも少々の鬼門はある。
それがブロッコリーやカリフラワーなどの、の宿敵「アフロ系野菜」なのだ。
これだけは昔からどうしても別格で、どうもあの土臭い香りと独特の食感が好きになれないらしいのだが、口にするのはおろか見るのも嫌だというほど嫌悪感を抱いている。
しかし、いまの眼前に差し出されている物は紛れもなくの宿敵、ブロッコリー君。
は目の前に出されたそれから視線を外しながら、さらに進に反論を試みた。
「別にブロッコリーじゃなくても他の物でだって同等の栄養価が摂取できるじゃないか!」
「そうはいかない。今夜の食事はこのブロッコリーを食べない事によってカロチン及びビタミンCが1日の必要摂取量が足りなくなる」
進は表情を変えずにそう説明すると、さあ!とばかりに再びの前にブロッコリーを差し出した。
そもそも、事の発端はつい数日前、とあることがきっかけでテスト勉強を教えてくれると約束した進の言葉に甘え、前回のテストより学年順位20番UPを目指して練習の無い日曜を利用し、土曜の練習後からが進の家に泊りがけでテスト勉強に来た事が始まりとなる。
本日は土曜の午後8時。
進の家で家政婦さんの作った進特製メニューに舌鼓を打っているところだった。
粗方食事の終わったと思われた時、進が何気なくの膳を覗いた際に皿の隅にひっそりと残っていたブロッコリーを目ざとく見つけてしまったことから、冒頭の文に繋がるわけである。
「さぁ、
「嫌!今日だけは例え進がア――ンしてくれても食べないっ!」
はそう言うと唇を尖らせて、いやいやとブロッコリーから顔を背けた。
そんな様子のに、進は僅かに困ったように眉を寄せ、ふぅと溜息をつく。
「ならば……一体どうしたら食べるというんだ?」
進はそう言いながら一たん箸を皿に置くと、表情を変えずにに向き直った。
「……何をしてくれても食べたくなんて無いけど……」
「けど、なんだ?」
進は真剣な瞳で歩を見据える。
は眼前からブロッコリーがとりあえず消えた事によって僅かにいつもの調子を取り戻すと、その猫のように整った瞳に悪戯っぽい光を湛えて、進のいかにも男らしい精悍で意志の強そうな黒い瞳に視線を合わせた。
「そうだなぁ……例えば……うん、進が口移しで食べさせてくれるなら考えてもいいよ」
「何?」
はにっこりとその愛らしい顔に子悪魔的な笑顔を浮かべると、僅かばかりに狼狽えた進の顔を覗き込む。
「ね、出来ないでしょ?」
「………」
はそんな進の様子を見て、してやったり!とばかりに小さくガッツポーズを決める。
いくらなんだって、進もそこまでして自分にブロッコリーを食べさせる事はしないだろう。
は進の苦悩する表情を見て僅かに心が痛んだが、何とかブロッコリーと衝撃的な再会を避けられたことに、心の底から安堵を覚えた……筈だった。
次の瞬間に進の一言を聞くまでは。
「……いいだろう。お前が本当にそれでこれを食べるというならな」
なんとその目論見はの予想を大幅に裏切り、進の鉄の意志によりもろくも崩れ去ったのだ。
「ちょ……進、本気なの?!」
「当たり前だ。冗談でこんな事を言えるか」
進の言葉に今度はが狼狽える番だった。
――いくら進がああいう性格だとはいえ、そこまでする?!
は背中に汗をかいているのを感じ、再び壁際に後ずさる。
「……、これはお前が言った事だろう。自分の言った事には責任を持て」
そう言うと、進が徐にブロッコリーを一房自分の口に含んだ。
は自分の心臓が破裂しそうに高鳴っている事を感じると、思わず大声で叫んで部屋から逃げ出したい感情に駆られた。
じっとりと手が汗ばんでくる。
たったの30秒が何時間も経ったかのように、は気が遠くなるほど長い間自らの感情と戦っていたような錯覚を覚えた。
――ああ……このまま何事も無く時が過ぎてしまえばいいのに!
そう思って再び顔を上げて時計を確認してみても、過ぎた時間はたったの数十秒。
は諦めたように溜息をついた。
「……解ったよ……」
意を決したように、は視線を進に……というよりその口元に垣間見えるブロッコリーにやった。
モサモサとしたそのアフロ状の形に思わず萎えそうになる気持ちを何とかこらえ、はキッと口元を引き締める。
気分は宿敵アフロ君との一騎打ちだ。
「じゃあ……い、いくよ?進」
の言葉に進が無言で頷き、僅かに背を屈めてブロッコリーを差し出す。
ドクドクと破裂しそうに脈打つ心臓を押さえながらは瞼をきつく結び、進の口に鎮座するブロッコリーへと突進した。
数秒後に、の唇にふさふさとブロッコリーのアフロの部分が触れ、特有の青臭い香りがの鼻孔を突く。
――ぎゃー!!
は小刻みに身体を震わせて泣きそうになりながらも、なんとかアフロ部分をその唇で挟み込む。
ふさふさとしたいつまでたっても好きになれないその感触に背筋を寒くすると、は思い切ってグイと唇全体で宿敵、ブロッコリー君を咥え込んだ。
……と、次の瞬間ふわりとアフロ君以外の感触がの唇に触れる。
「……!?」
それは本当に瞬きすら出来ないほど短い瞬間だったが、確実にブロッコリーの感触とは違うもの。
思わずはビクリと身体を強張らせると、進の口から矢のようなスピードで咥えていたブロッコリーを咥え去り、そのままそれをよく噛み砕く間もなく飲み下した。
既にブロッコリーの味など感じている余裕も無い。
は先ほどとは比べ物にならないほど脈打っている心臓を片手で押さえ込むと、恐る恐る進の顔を仰ぎ見る。
「……どうだ?」
「どどど、どうだって……何が……」
「お前が思うより不味くは無かっただろう?」
「あ、味なんて感じてる余裕は無かったよ……!」
「そうか。だがその方が良かったんじゃないか?」
「そ……そりゃ……」
は顔を真っ赤に染め、何か釈然としない物を抱えながらも進の言葉にしぶしぶ頷く。
「……よく頑張ったな」
不意にかけられた進の言葉にが驚いたように顔を上げると、恐らく殆どの人間がまず垣間見る事の出来ないであろう僅かに口元を緩めた進の瞳と視線が合った。
「………」
は思わずその真摯な中に優しさの垣間見える進の顔に、放心したように見ほれた。
……と、進は徐に皿からブロッコリーの一房を箸で摘むと、再びに向かいあうように対峙する。
「さぁ、あと残り2つだ」
その瞬間、の魂は瞬時に夢から現実へと引き戻された。
「ま……まだあるのーっ!?」



再びの悲痛な悲鳴が閑静な住宅街に響き渡った……というのは後の話。


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後書き

すみませんすみませんすみません!進がなんだか偽者ですみませんっ!(汗)
しかも、もしかしたら裏でこの続きをUpしちゃうかも知れません……。

ぐは!私のイカレ脳万歳っ!