今日のお昼は何でしょう?

「おっ昼だー!お昼ー!!進っ!桜庭っ!ご飯ご飯ご飯――っ!」
昼の休憩時間を告げるチャイムが校内に鳴り響くと同時に一人の少年が勢い良く立ち上がった。
派手に椅子を引く音とその軽快な声はクラス中に響き渡り、瞬間的にクラス中の視線が彼……に集中した。
遅れて、密かに教壇で延長授業を画策していた数学教師がチョークを片手に苦笑を浮かべながらを振り返る。
「……、授業って言うのはな、終了の挨拶と解散の指示があって初めて終わりになるもんなんだぞ。まぁ……お前の腹が減ってるのは俺にも解るけどな」
「へ、なんで解るの?」
の不思議そうな声に、数学教師は意地悪そうな笑みを浮かべて肩をすくめて言い放つ。
「お前の腹の虫が鳴く音が、授業中に何度も教卓まで聞こえてきてたぞ」
「ゲッ!マジ?!」
そう言ってが数学教師の言葉に驚いたように声をあげると、クラス中から爆笑が起こる。
このクラスでは、彼が何かと休憩時間の話題を提供してくれる事が恒例行事となっているらしい。
それが解っているから、数学教師も顔に苦笑を浮かべて握っていたチョークをチョーク受に戻す。
「仕方が無いな、本当は延長授業を考えていたんだが……今日はの腹に免じてここまでで終了にしよう」
数学教師の言葉が済むや否や、クラス中からに感謝を述べる声が飛びかう。
勿論、当の本人はそんな事を気にすべく筈もなく、ひたすら食事にありつけると喜びの声をあげた。
「やったー!ご飯ご飯――ッ!」
数学教師は苦笑を浮かべ、それでもどこか楽しげに今にも飛び出していきそうなに注意をとばす。
「コラ、!授業は挨拶が済んでからだと言ってるだろう」
「きゃー!すいませんってば!委員長早く早くっ!」
そう言うと、はピョンピョンと飛び跳ねながら委員長に号令を促す。
それを受けて委員長は心得たように眼鏡を片手で上げながら悪戯っぽく立ち上がった。
「ハイハイ。我らが救世主君のお腹を案じて超特急ヴァージョンで。きりーつ、礼、解散っ!」
そう言うと彼は本当に超特急で早口にまくし立て、ニヤリとに笑顔を向けた。
再びクラスから爆笑が起こる。
「オイっ!おまえらなぁ……教師を敬うって気持ちは無いのか!いくらなんでも適当すぎるだろうが!」
教師のふざけた様な口調に再びクラスに笑いが起きた……と同時にまたもやの腹が盛大になる。
数学教師は気をそがれたように、大袈裟に肩を落とした。
「……あ――もういい、今日は許す。次回はしっかり挨拶しろよ?そんじゃ解散!」
「わ――いっ!進進ご飯――!!」
数学教師がそう言って教科書を閉じると、瞬く間にが斜め前の席に座る進にじゃれつく。
と、周りの席の友人たちから「お熱いねぇ!」とか「ヒューヒュー」などというからかいの篭った言葉がかけられる。
そんなの行動から周りの反応まで総て、もう既にクラスでは見慣れた風景となっていた。
当の進はそんな周りの言葉を意にも介さずいつものように教科書を仕舞い、立ち上がる。
はすかさず進の腕を掴むようにじゃれついた。
「ご飯ー!」
「……解った。だから毎回休憩時間の度にオレに飛びつくのは止せ」
進はふぅ、と息をつくとそれでも表情を変えずにの身体を支えた。
何だかんだと言葉をかけるが、最終的にいつも進はを無理矢理引き離したりはしない。
諦めているのか気にしないことにしているのか……まぁ少なくとも嫌がっているわけではないということだけは解る。
「飛びついてるんじゃなくて、抱きついてるんだもん!」
はそれでも進から離れようとはせず、自分より少しだけ高い位置にある進の瞳を見上げた。
「どちらも大して変わらん。教室のような狭い場所でこのような行動をしていたら、いつか怪我をしかねんだろう」
「えっ!俺の事心配してくれてるの?」
「当たり前だろう。ただでさえお前はいつも注意力が散漫だからな」
進はそう言うと僅かに眉を寄せてを見下ろす。
その視線を受けて、は不満げに唇を尖らせた。
「……なんでもいいけど……昼メシ食わねーのかよ?」
が口を開こうとした瞬間、不意に横から苦笑交じりの声がして、は視線をそちらに寄せる。
「桜庭も暇そうにしてるぞ」
急に自分に話を振られ、桜庭は驚いたように声の主……委員長の方に視線を寄越す。
「いや、オレは別に……」
「そうだ、腹が減ったといったのはお前だろう、
みなの視線がに寄せられ、は思い出したかのように進から離れた。
「あー!思い出したら余計お腹減ってきた!早く食べよ!!」
「………」
「………」
「………」
「あれ?どしたの?」
「いや……じゃあ屋上に行こうか」
一瞬の後、いち早く雰囲気に適応した桜庭がそう提案すると、一同は各々昼食を持ってぞろぞろと屋上へと向かった。


「……また今日の弁当にも野菜が入っていないぞ、
進がいつものようにの弁当を覗き込み、またいつものように眉を顰めた。
「何言ってるんだよ!ちゃんと野菜炒めが入ってるじゃないか!」
進の言葉に、これまたがいつものように反撃をする。
しかし、その反撃も進にやり返されてしまうのだが……これもいつもの事。
「ビタミン類は熱を加えると半分以上解けてしまう。その量ではビタミンが足りないだろう」
「ぐ……だって弁当に入れるものなんて、大体パターンが決まってくるだろーっ!」
はそう言うとお決まりのようにその唇を尖らせた。
「大体さぁ、俺の弁当なんてまだマシな方だろ!桜庭なんて購買のパンじゃないかー!栄養偏りまくりじゃん!」
「えっ!オレっ?!」
いきなり話題を振られた桜庭は、驚いたように咥えていたコロッケパンを口から離す。
いつも進に関する事で上手くいかない事があると、は癇癪を桜庭にぶつけている。
もっとも進自身にもそのとばっちりがくることもしばしばなのだが。
「勿論桜庭も同様だ。炭水化物ばかり摂取していては、エネルギー代謝が悪くなるぞ」
「ご、ごめん……」
桜庭は冷や汗をかきながらも、とりあえず進に謝った。
こういう時のには逆らわない方が無難であることは桜庭が一番良く知っている。
なにせ、ただの八つ当たりなのだから。
桜庭は思わず小さく溜息をつくと、肩をすくめた。
考えれば、の進に対する友情は半端ではない。
確かに男として進に憧れる気持ちは桜庭にも解る。
それに自身に他意はないだろうし、その行動に嫌味は感じない。
なにより進自身気がついているのかどうかは解らないが、かなりに甘いところがある。
そういう桜庭自身すらに甘いところがある事も否めない事実なのだが。
「……
進は膨れ面をしているの名を、いつも通り表情を変えずに低く呼ぶ。
「これをやる」
「……へ?」
不意にかけられた言葉にが不思議そうに視線をやると、進はその右手で少し大きめのタッパーを差し出した。
進の差し出したタッパーの中にはキウイ・パイナップル・オレンジ等の色とりどりのフルーツが綺麗に切りそろえ、詰まっている。
「多めに持ってきているから、少しでも食べてビタミンを補給しておけ」
進はそう言うと、再びにタッパーを差し出した。
「………」
は思わずそのタッパーと進の顔との間を何度か視線を往復させ、最後に進の顔を仰ぎ見る。
「……どうした、食べないのか?」
再びかけられた進の言葉に、はいつのまにやらさっきまでの不機嫌さを吹き飛ばすような笑顔で進に微笑んだ。
「もらうよ。じゃぁねぇ……あ―――ん!」
笑顔のまま、は進の前でまるで雛鳥が親鳥から餌を貰うかのようにその口を開ける。
驚きのあまり思わず桜庭は咥えていたコロッケパンの残りを零しそうになり、あわてて手の中のコロッケパンでお手玉をした。
らしいといえばらしい……しかし、ここでそれをやるか?!
桜庭は空を見上げて小さく吐息をついた。
「……そ、それくらい自分で食べられるだろう!」
あまりのの行動に、珍しく進が動揺したように表情を僅かに崩す。
「嫌だ。進が食べさせてよー!」
普段は進の言葉には比較的従順なが、珍しく強気に申し出る。
進は僅かに困ったように眉を寄せた。
「……進、諦めて一口食べさせてあげたら?きっとそうしたらの気も済むから……」
これ以上に駄々をこねられて再びとばっちりを食う事を恐れた桜庭が、進に妥協策を提示する。
進は暫く考えた後、仕方がないというような素振りで小さく頷いた。
「……仕方のない奴だな。一度だけだぞ」
「わーい!やった!」
進の言葉に、は本当に嬉しそうに喜ぶ。
そんな無邪気な姿を見せられるから、何だかんだと皆に甘くなってしまうのだ。
「……口を開けろ」
「あ――――ん」
進はもう既に動揺の影も残っていないいつもの表情で、キウイをひとつ箸で掴みの口の中に放り込む。
の口の中にキウイ特有の甘酸っぱい酸味がシュワシュワと広がった。
「うー、酸っぱい!でも進の愛で甘いー!」
は自分の手で両頬を押さえた格好のまま、幸せそうに笑顔を向ける。
「……あーもう、ご馳走様」
「む、もう食べないのか?桜庭。まだ昼食は残っているだろう」
「そういう意味のご馳走様じゃないよ、進……」
桜庭は進に苦笑を返すと、やれやれと首を振った。
進はそんな桜庭の行動に不思議そうな表情を向けると、思い出したようにに視線を戻す。
、弁当にどうしてもビタミンが取り入れられないようならば果物を用意するか、あるいは野菜入りの飲み物を飲むように心がけろ」
「うん、進が食べさせてくれるならね」
「一度だけだと言っただろう」
「ぶー」
は唇を尖らせると、残念そうな顔で進の顔を仰ぎ見た。
「……そんな顔をするな、
「だってー」
進はそんなの顔を見て軽く吐息をつくと、自分の手を膝に置き彼の瞳に視線を合わせる。
「……それなら……今度の中間テストで前回の学年順位から20番上がったら、もう一度してやる」
「えっ!本当に!?」
は物凄い勢いで進の顔を覗き込むと、這うように身を乗り出した。
「嘘などつかん。ただし20番以上上がったらだぞ」
「解ってるよ!うわー俺絶対がんばるっ!」
は笑顔で進の手をつかむと、その小指を自分の小指に絡ませる。
「指きりげんまんだからねっ!」
「……解っている」
「勉強教えてよねっ!」
「……ああ」
桜庭はそんな二人のやり取りを見て苦笑する。
何だかんだで進はに甘い。
は進に弱い。
ぴったりと組み合わせたパズルのピースのように、馬の合う二人なんだろう。
そして自分はそんな二人が嫌いではない。
桜庭は再び苦笑をすると、空を見上げた。


――青い空に、昼休憩の終わりを告げるチャイムの音が、染み入るように響いていった。

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