幼馴染の一線は海より深くて渡れない |
北斗杯……その目標が出来てからのお前は、いつも以上に張り切っていたな。 言わなくても解るさ、お前のその目を見れば。 思い返してみれば、昔からそういうヤツだったよなぁ、お前って。 何か面白いことを見つけると一目散に走っていって、それに熱中してしまう。 飽きるほどそれにのめり込んで、隣に居た俺の事なんか忘れちまうんだ。 俺はお前の何かを見つけた時に見せる、そのきらきらした瞳が好きだった。 でも、その瞳が俺に向くことは無い、そんな事実から目を背けたかったよ。 だから……俺も見つけようと思った。 なにか、熱中できる物を。 お前が居なくても、一人で居られるように。 いつかお前の背が遠く離れて姿を目で追えなくなったときも、一人で頑張っていけるように。 「おい、!お前、来週府のコンクールの作品展なんやて?」 「んん?あぁそうやけど……どこから仕入れたん、その情報」 「永瀬から聞いた。何で俺には言わんのや」 「何で、て……お前来週手合いやん。言うても仕方ないやろ?」 「仕方ないて、もうちょい他に言い方ないんか」 「ホンマの話やろ。大体なんや、急にそないなこと言い出しよって。お前今まで一度も俺の作品展なんて来た事無いくせに」 「そりゃそうやけど……今回のはいつもとちょっとちゃうやろ。府のコンクールで優秀賞取った言う話やないか」 「……俺にとっては……今回のがたまたま賞を取ったいうだけで、意気込みはいつもと何も変わってへん。別に清が気を使う必要あらへんよ」 「そやかて……」 「あのなぁ清、どの道お前は俺の作品展には来られへん。お前、来週は手合いの後東京の何とかいう偉い囲碁の先生の所に師匠と行くて言うとったやん」 「……あ」 「せやから無理しんとき。お前は囲碁の事だけめいっぱい考えとればええねん」 「あ、ちょぉ……!」 「ええか清、お前は北斗杯だか何だかに合わせて調整せぇ。俺なんかに構ってると、本選の勝敗以前に選手枠すら危ないで。俺はお前の棋士としての将来を一番応援しとるファン第1号なんやからな」 いつだって俺は素直じゃない。 本当は自分を気にしてくれた事が嬉しかったはずなのに、それを表現できない。 いや、したくても出来ない。 一度表現をしてしまえばそれはきっととめどなく溢れて来るだろう。 そうしたら……俺はきっと今のままではいられない。 そうなるくらいなら、俺は俺の心の総てを封印してしまった方が遥かにマシだ。 総てを失うくらいなら……。 俺は臆病だ。 臆病で……情けない。 「なんや清春、ぼーっとして。お前がこんな簡単なヨセでマチガエるなんて珍しい」 「……すんません」 「謝る事やないけど、どないしたんや。心配事か?」 「はぁまぁ……」 「何やホンマに珍しいな!……ええか、棋士って商売は心と勝敗が密接に関わっとる。焦りや不安は勝負勘を鈍らせる。集中力をかき乱す。それが解らん奴じゃないとは思うが、さっさとその心配事を片付けて囲碁に集中せえ。ええな?」 「解りました」 いつのまにか隣に居たはずのあいつは俺の傍から離れていた。 アイツと別の道を選んだのは紛れもない俺だけれど、それでも一緒に居られるのだと思っていた。 同じ道を歩いていなくても、前を目指す気持ちは同じだと思っていた。 けれど現実はそうではなくて、歳を経る毎に距離は確実に離れていく。 今までずっと、それは仕方がないことだと自分に言い聞かせてきた。 ずっと同じで居られる事など無いと……それは子供の論理でしか無いと。 そんな感情を押し殺す事が大人なのだと。 そして何より――アイツの道の邪魔をしたくなかった。 オレが囲碁を選んだように、美術への道を選んだアイツの道を。 アイツの頭上にある『未来』という光の道を、自分の子供じみた感情で踏みにじりたくなかったから。 オレは子供だ。 子供で……我侭だ。 「君、優秀賞おめでとう。以前から君の作品には高い評価が出ていたが、今回はその実力の総てが詰め込まれた感じだね。柔らかなタッチ、それでいて真剣さと希望を表すような気迫の篭った雰囲気がビリビリと伝わってくるような構図。なにより、表情がいいね。君自身の情熱がありありと伝わってくる、申し分の無い作品だよ」 「ありがとうございます」 「君は確か……龍泉高校の美術科に合格が決まっているのだったかね?」 「はい。この春から通う予定です」 「そうか、あそこに在籍されている嘉納先生はとてもいい先生だよ。国のコンクールでも多くの賞を受賞している実力派だ。そして後継の才能の伸ばし方も上手い。彼の指導は必ず君のプラスになるだろう、しっかり学びなさい」 「はい、がんばります」 清春と違う高校を受験した。 美術の道に集中できるように、自分の道を歩く為に。 後悔? しているはずが無い。 これが俺の選んだ道だ。 それなのに、胸の奥がジリリと痛む。 幼馴染の一線は海より深くて渡れない。 いつ頃から、そんなことを考え出したのか。 「清春、用意はええか?そろそろ出発するで」 「………」 「ん?どないしたんや」 「あの……先生。前にオレに心配事は早めに片付けろって言わはりましたよね?」 「ああ、言ったが……それがどないしたんや?」 「やっぱりオレ、駄目や。今行かんと絶対に後悔する」 「……?おい、清春?」 「東京の船村先生のお宅にお邪魔するのって夕方や言うてましたよね?それまでは観光して日本棋院寄るて」 「ああ、言うたが……それがどないしたんや?」 「すんません、先生!オレ後から午後の電車で一人で行きますよって、先生先に東京行っとってください!」 「一人でって……おい、清春?!」 「すんません、先生!ほな!」 一緒にいるということが子供の理論なら、俺はそれを通してやる。 それで幸せなら、それでいい。 子供といわれようが、大人気無いといわれようが、俺は俺の道を通してやる。 夢も、望みも、全部を諦められるほど大人じゃない。 オレは欲張りなんだ! 「まぁ、これが優秀賞の作品なんですって?上手いわねぇ」 「そうねぇ、悔しいけれど素人目に見ても……うちの子とはちょっと格が違うわ」 「あら、裕太君にだってまだまだ先があるじゃないの」 「そうだけれど……それにしても、本当に君の絵には心が感じられるわねぇ」 ――すげぇ。 美術関係に疎いオレにはただその言葉しか出てこなかったが、それでもとにかくの絵から漂ってくる気迫のような物を、ピリピリと肌で感じた。 「……清春」 「!」 「そないにアホみたいな顔で人の絵を眺めるな」 「――どうや!来られへん事無かったやろ!」 「そない顔で格好いい台詞言うても、格好よくないで。だいたい、煩い。ここは美術展示会の会場や。お前、注目の的やん」 「――〜〜〜っ!他に台詞は無いんか!?」 「……阿呆」 「それが初めて幼馴染の晴れ舞台を見に来た幼馴染に対する台詞か?!」 「……初めて、なぁ」 「……な、何や?」 「本当はお前、毎回俺の作品展に来とったくせに、俺がそんな事も知らへんとでも思っとったんか?」 「なっ……!なんでそないなこと……?!」 「永瀬から全部聞いとるわ!」 「あんの阿呆、言うなて言うといたのに……!」 「せやから今日だってお前の予定崩れるから来るなて言うたのに……阿呆!」 「何やて!?そないに言うならこっちも言わして貰うで! お前かて俺が院生の頃から一々東城に俺の手合いの結果を聞いとるやんか!」 「なっ……!東城の奴バラしたんか?!」 「全部聞いとるわ!そないに俺が気になるんか!」 「当たり前や!……友達やん!幼馴染やん!」 「ほんなら……こないに全部を絵ぇに閉じ込めて、自己完結するのやめぇ!」 「……!」 「オレの事……こないに描いてくれるのはホンマに嬉しいけどな、それじゃあオレはお前に答えられへんやんか。せやから……勝敗くらい、オレに聞け。そしたら、オレが……オレがお前に答えたる」 「……清春」 「オレは、絵のことはよぉ解らん。せやけどな、オレはお前の描いたオレ以外の絵も見てみたいんや。きっと……綺麗なんやろうから」 「――嫌や」 「あぁ?!」 「俺は描きたい物……興味があるものしか描かへん」 「おま……なんやそれ。オレに告っとるんかい!」 「道は違うても、一緒にいたいと思うのは子供の我侭やと思うてた。そんな思いはお前を縛る物やと……。でもな、何でもできんと決め付けるのが大人のやり方なんやとしたら、俺はそんなん嫌や。お前が囲碁の道を譲りたないように……俺も描きたいものは譲れへん。せやから俺は描きたいものを描く」 「せやけどな……」 「そんで、お前にはちゃんと思った事を言う。勝敗も……お前が教えてくれるんなら、お前に聞く。せやから――清春。……作品展来たいなら、……隠れて来ないで俺に言え。そしたら、俺がチケットの1枚くらいお前にくれてやるわい」 「……せやな。お互い意地の張り合いはこの辺で終了や」 意地っ張りと強情っぱりの対決は、こうして幕を閉じた。 思えば俺達は……どのくらい自分で自分の心を騙していたのか。 まぁ今となっては、それもいい思い出だけれど。 「それにしても……あの絵、いつ俺の対局を見て描いたんや?」 「あれ?知らへんの?全部聞いてるて言うてへんかった?アレ、東城に頼んで棋院に連れて行って貰ったときや」 「……東城のヤロォ……要注意やな」 「――?なんや?」 「や、なんでもあらへん」 次に吹き荒れるのは、桜の嵐かもしれない。 |
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