総ては決まっていたこと。

総ては決まっていた事の様だ。
兄貴が俺よりほんの少し先に生まれたことも、テニスを好きになったのも、青学を辞めたことも、兄貴に負けたことも……そして、に会った事も。
運命だなんて「クソクラエ」なんて思っている俺も、これだけは感謝しなくちゃいけないと思ってる……いや、感謝しているのかな。
俺は夕日に染まったコートの隅に、金網を瀬に持たれかかりながら腰掛ける。
「カシャン」と、金属の軋む音が心地よい冷たさと共に背に響く。
俺は薄めに作ったスポーツドリンクを一口含んで、赤い空を見上げた。
あの日と同じ空の色だ。
もうあれから――3年も経つのか……。

は俺の親友だ。
初めてあいつに会ったのは、俺が5歳の頃だから……もうすぐ10年の付き合いになる。
越して来たばかりの頃のは、幼心にも凄く可愛い子で……俺は最初見たときを女の子だと思った記憶がある。
だからその時その女の子(だと当時は思っていた)に淡い恋心を抱いたりしていた俺は、密かにショックを受けたのを覚えている。
その頃からはもうラケットを握っていた。
今思えば、あれは英才教育だったんだろうけど、俺にとってその頃のテニスは「せっかくお隣に越してきたお友達と遊ぶ時間を減らす、邪魔な物」くらいの感覚だった。
小学校にあがる頃になると、は学校が引けると毎日ラケットを抱えて、決して近いとは言えないテニススクールに通っていた。
俺は少しでもと一緒に居たいがために、毎日用も無いのにのスクールまでついていって、の練習風景を眺めていた。
いつからか、それに兄貴も加わるようになって……俺たち3人は、いつも学校が終ると長くて緩い坂道を一緒に登り、そしていつしか同じスクールに通うようになった。
思えば、その頃からはテニスが上手かった。
それはそこそこ自分が打てるようになったからこそ解る事で、当時の俺はそんなこと理解できもしなかったけれど。
何度ゲームをしてもに勝てなくて悔しがる俺に、はいつも決まって「ボクの方がちょっとだけテニスの先輩だからね」って笑って言ってたんだよな。
結局はそんなの笑顔につられて俺も笑顔になって……そんな毎日が楽しかった。
テニスが楽しいと、心底思えた時間だった。
兄貴に比べられることもなく、大好きな友達と大好きなテニスを日が沈むまでやる。
でも、今ではあの頃の楽しさが夢のように思える。
その楽しかった日々は、の海外転校という形で突然に破られた。
父親の転勤に、たちもついて行ったのだ。
表向きはそんなありがちな理由だったけど、多分あれはのためでもあったんだと思う。
小学5年生になると、のテニスの腕はプロを夢見られるほどに上達していた。
プロの道を考えるなら、少しでも早いうちから経験を積んだ方がいいだろうと、の両親は考えたんだと思う。
それに、の兄貴は本格的に世界ジュニア大会に出場していたほどの腕前だったから、少しでも上達できるように兄弟揃って遠征させることを考えたんだろう。
でも、そんな理由をガキの頃の俺は理解もできなくて、えらくを困らせた。
『どうして行っちゃうんだよ!?だけここに残れないのかよ?!』
『ごめんね、ユータ。ボクももっとユータと一緒にテニスしたかったけど……』
『だったらそうすればいいじゃん!』
『また、会えるよ』
『またって、いつだよ!?』
『それは……』
ホント、思い出すと顔が赤くなる。
でも、その時は『ユータがテニス頑張ってれば、大会で会えるよ』って綺麗に笑って、半べそかいてた俺に言ったんだよな。
その笑顔があんまりにも綺麗で、俺は頷くしかなかった。
その日から、俺は大会を目標にテニスを頑張った。
来る日も来る日もラケットを振り続けたのは、が驚いてしまうほど強くなって、大会で再会する為だ。
でも、そんな風に頑張ってる俺の耳に入ってきたのは、一足先に中学生になっていた「天才不二周介の弟」という物だった。
頑張れば頑張るほど重く圧し掛かる「不二周介の弟」という称号は、いつしか俺のテニスをする目的を変えていった。
自己主張のためのテニス。
それはさして楽しい物ではなく……むしろ、更に自分を追いつめる辛い物だ。
最初の頃の、ただ無心にボールを打ち返していた頃の、楽しい思いは欠片も残って無かったから。
強くなる為なら、何でもやった。
青学を辞めルドルフに移り、新しい技の開発、筋力トレーニング、攻撃パターン研究、コントロールトレーニング……毎日、へとへとになるまで頑張った。
俺を「不二裕太」としてみてくれる仲間にも会えた。
それでも、俺の心は満たされることはなかった。
俺の心は、何かを忘れてしまっていたから。
まるでこの暮れていく夕日のように、熱い思いは今も胸を焦がしているのに。

* * * * *

ひんやりとした冷気が俺の頬を撫で上げる感覚に、俺は無意識のうちにブルっと身震いをして、意識を引き寄せた。
「……!?」
いつのまにか、テニスコートを彩る色は夕日の赤から夜の青へと変わり、街灯もちらほらと明かりをともし始めている。
ヤバイ!俺は今まで寝てたのか!?
俺は急速に頭を覚醒させると、慌てて身を起こした。
瞬間、身体に掛かっていたらしいジャケットがパサリと地に落ちる。
「おはよ、ユータ。相変わらず練習の虫みたいだね」
「――!?」
「でも、身体冷やすと良くないよ。まだ夏ってわけじゃないんだから」
聞き覚えのある声に、俺は恐る恐る振り返る。
少しだけ大人びてはいるが、あの頃と変わらない綺麗な笑顔――間違いない、だ……!
「な……!?なんで、だってアメリカ……」
「帰ってきたんだよ、今日」
「どうして連絡くれなかったんだよ!っていうか、なんでここに俺が居るって……」
「こっちの方からSOSが聞こえたから」
冗談とも、本気ともつかない顔で、が微笑む。
いつだって俺が苦しいときは、はまるで俺の心が読めるみたいに現れて、この笑顔をくれる。
この柔らかな笑顔で、俺は何度助けられただろう。
「!?」
「なーんてね!ユータに会いたかったからだよ。ユータの家に挨拶に行ったら、ユータも周ちゃんもいないって言われてさ。ここにくれば、会えると思って。ボクさ、ユータと周ちゃんに一番に会いたかったんだよー!」
「………」
「ユータはいつも時間があれば周ちゃんとテニスしてたでしょ」
「――そう、だな」
「今日は周ちゃんはいないの?」
「――部活だろうな。今は家に居ると思うけど……」
「そっか。ねぇ、ユータ」
「ん?」
「テニス……好き?」
「あ?そりゃ、勿論……」
「そっか、じゃ、大丈夫だよね」
そう言って微笑むの顔はいつもの笑顔で、俺はなんだかわけもなく心がざわついた。
「さ、そろそろ帰ろう!周ちゃんも、そろそろ帰ってるんでしょ?今日はさ、僕の家で簡単なパーティーやるんだよ。ユータも来てくれるでしょ?」
「え?ああ――勿論」

このときの言った言葉を俺が本当に理解するのは、もう少し先のことだった――。

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