WHITE 〜AIR〜 |
ちらほらと雪が降っていた。 真っ白なグラウンドに積み重なるように、幾重にも幾重にも雪の層が出来上がる。 きっと雪に中で寝そべって空を見上げていたら、いつかはこの白い雪の中に埋もれられるだろう。 は雪の中空を見上げると、ぼんやりとそう思った。 頭に、肩に、睫毛に雪が降り積もる。 は幾度か瞬くと、その瞳を再び天へと向けた。 ふわりふわりと天から降る雪を眺めていると、まるで自分が天の国へ登っていくような錯覚を覚える。 このまま天に昇っていったら、自分は一体どこに着くのだろう。 天国だろうか? いや、違う……人に不幸を押し付けてのうのうと生き伸びている者など、天国は受け入れはしまい。 ならば、行き着く所は地獄なのだろうか。 いっそ、それでも構わないかもしれない。 だが、それは彼の心が許さなかった。 死んでしまえば、自分だけは苦から永遠に解放される。 だが、残されたセブルスは、これからもずっと苦の中にいつづけなくてはならないのだ。 ただそれだけが、彼の中で死への枷だった。 は肩に乗った雪を払いもせず、その瞳を伏せる。 ローブに、しっとりと雪が染み込んでいった。 ――あの日以来、の瞳が未来を見る事はなくなった。 それなのに、情報伝達係であるはずのセブルスは自分へ何も質しはしない。 『見えなくなった』と言ったの言葉に、セブルスはただ『そうか』と答えたきり、何もヴォルデモートの話題を出しはしない。 それどころか、必要以上にとの接触を避けるようになった。 それでもヴォルデモートがセブルスを手放さないのは、偏にセブルスがヴォルデモートの想像以上に優秀な部下だったからに他ならない。 実際、セブルスは上手くやっている。 かのダンブルドアでさえセブルスには何の注意も払わず、セブルスは着実にダンブルドアの情報をヴォルデモートに送っていた。 無表情に、無感動に、ただ命令に忠実に任務をこなす。 そんなセブルスの姿を、は見ていることが出来なかった。 「………っ」 は両腕で自分の肩を抱く。 どうしたらいいのか解らない。 自分はたった一人だ。 セブルス無しでは、こんなにも自分は無力なのだ。 「……どうしたら、いいの」 の頬に、暖かい涙が一筋流れる。 睫毛に積もった雪が、ふわりと溶けて涙に重なった。 「」 不意に肩に置かれた体温に、は怯えた様にビクリと背を跳ねさせて振り返った。 「シリウス、この年号は間違っているよ。ストーンヘンジが魔術師マーリンの申請によって作り始められたのは紀元前2800年から紀元前1100年の間。それから、この建造物の建造に関わったのは初期はウィンドミル・ヒル人で、次がビーカー人だよ」 「え……?ああ、そうだったな」 シリウスはただ機械的に動かしていた羽ペンの動きを止め、ぼんやりとジェームズの顔を見上げた。 そんなシリウスの様子を見て、ジェームズはいぶかしむようにその瞳を細める。 「そうだったなって……君、資料は君の目の前じゃないか。まったく、どうしたんだよ。シリウスらしくないよ」 ゆらりと談話室のランプが揺れ、シリウスの顔に奇妙な影を映す。 ジェームズは僅かに溜息をついた。 「君、集中力が足りないよ。もうレポートなんてやめてリラックスしたら?」 「リラックスなんかしていたらレポートが終わらないじゃないか。提出は今週だろう?」 「何言ってるんだよ、提出は来週じゃないか」 ジェームズは呆れたようにシリウスの資料を閉じる。 シリウスはそんなジェームズの行動に一瞬咎める様な視線を送るが、それでも諦めたように羽ペンをペン刺しに戻した。 「ここ数日……君は様子が変だ」 ジェームズはシリウスの視線が自分へと戻ったのを感じると、諭すようにそう口を開いた。 「別に……」 「いいや、変だよ。それにリーマスもだ。君たちが僕に何も話さないなら僕は何も言わないさ。でも……僕は君たちの事を友達だと思ってるから、君たちの様子がおかしければ気にもなるし、心配だってする」 「………」 シリウスは少し唇を噛み締めると、机に組んだ指先に視線を落とした。 「この間の魔法薬学の時間は蝙蝠の羽の分量を間違えて薬を台無しにするし、クィディッチの最中には箒から落ちそうになるし」 「……済まない」 シリウスはそうジェームズにボソリと口の中で呟く。 ジェームズは再び溜息をつくと、自分も羽ペンを置いた。 「僕は別に君に謝って貰おうと思っているわけじゃないんだよ」 「解ってる」 「解っているなら……いつまでも悩んでいないできっちりとかたをつけたらどう?」 ジェームズはそう言うと、チラリと忍びの地図に視線を這わせた。 「だけど……」 「問答無用。どうやら意外にも行動力はムーニーの方があるみたいだね」 そういうと、ジェームズは自身の教科書やら資料などを手早くまとめ始める。 「おい、ジェームズ?」 まるでワケが解らないといった風にシリウスがジェームズを見上げると、ジェームズはただ黙って肩を竦めた。 カタン。 不意に「太った婦人」の肖像画が開き、リーマスが入ってくる。 ジェームズはそれを確認すると、寮塔を視線で示した。 「お帰り、リーマス。部屋には誰も居ないよ」 「そう、ありがとうジェームズ」 リーマスはそう言うと、シリウスへと視線を向ける。 シリウスがリーマスとまともに顔をあわせるのは、あの昼食の時以来だった。 「……話があるんだ、シリウス」 リーマスは抑揚の無い声でそう言うと、それでも有無を言わさぬような意志の強さを湛えた瞳をシリウスへと向けた。 「リーマス……」 シリウスは一瞬の後、リーマスの言葉に頷く。 「解った、いくよ」 二人は無言で階段を上った。 いつもなら気にもならないこの階段も、重苦しい空気の所為かいつもよりずっと長く感じる。 それでも、ふたりはずっと無言だった。 カツンカツンという靴音しか響かない。 シリウスはただ先を行くリーマスの背中を見つめた。 やがて自分たちの寝室の扉にたどり着くと、リーマスは扉の鍵を開け中へと入った。 シリウスもそれに続く。 リーマスは慣れた手つきでランプに光を灯すと、今一度シリウスを振り返った。 シリウスは覚悟を決めたようにリーマスの瞳をしっかりと見据えた。 「……僕が何が言いたいか……大体の見当はついているよね?シリウス」 「……ああ」 シリウスはそう言うと、自身のベッドへと腰をかける。 リーマスはシリウスから視線をはずすと、その視線を宙へと定めた。 「……もう、いいよ」 不意にそう言ったリーマスの言葉にシリウスは怪訝そうに眉を顰めると、リーマスの視線の先……何も無いはずの空間を目で追った。 「……っ!」 瞬間、シリウスの瞳が驚きで見開かれた。 バサリ、という布の落ちる音とともにシリウスの前に現れたのは紛れも無い――だったのだ。 「な……どうして?」 シリウスは困惑したようにリーマスに視線を寄越す。 リーマスは未だにその表情を崩すことなく、シリウスに言った。 「ジェームズの透明マントを借りたんだよ」 「………」 「この問題はいくら僕と君とで話し合っても最終的な解決にはならないだろう。それに……僕は君がこの問題から逃げているのを見るのが嫌いだ、とてもね」 「リーマス……」 シリウスはリーマスの言葉に否定の言葉を失ったように小さく頷いた。 「だからしっかりケリをつけなよ、自分自身に」 「……ああ」 「いい?敵に塩を送るのは……これが最後だからね」 「……ああ」 リーマスはそう言うと、踵を返して扉へと足を向けた。 その瞳は苦しげに細められている。 シリウスは何も言わずにただその背を見送った。 「悔しいけれど……僕じゃ、駄目なんだ……」 ポツリと呟かれた言葉は誰の耳に入る事も無く、ただ静寂の中に溶けていった。 「」 不意に名前を呼ばれ、はビクリと弾かれたように顔を上げた。 その顔には怯えが色濃く浮かんでいる。 シリウスはの様子に違和感を覚えながらも、努めて平静を装うように自分の隣を指し示して手招きをした。 「座らないか?……君が嫌じゃなければ」 シリウスの言葉には迷ったように視線を彷徨わせると、それでも小さく頷いてシリウスの隣に腰をかけた。 ギシリとベッドのスプリングが軋む音がする。 は相変わらず視線を落としたまま、自分の指先を眺めた。 「その……どうかしたのか?」 シリウスはそう言うと、の横顔を眺めた。 ふと、その睫毛がランプの光で濡れたように輝いたのを見ると、シリウスはのローブが薄く濡れているのに気がついた。 「?」 シリウスが慌てての肩を掴むと、その肩の冷たさに思わずその形のよい眉がつりあがった。 「こんな……!身体が冷えてるじゃないか!」 そのあまりの剣幕に、は驚いたようにシリウスの瞳を見上げた。 「早くそのローブを脱ぐんだ!ローブの下は……濡れていないな?」 シリウスは乱暴にベッドから立ち上がると、クローゼットの中から自分のローブを取り出しての肩を包み込むように被せた。 「……寒くないか?」 シリウスはそう言っての瞳を覗きこむと、はその睫毛を2度瞬かせて頷いた。 「……ごめん」 「……?なにが……」 「いつも僕は……シリウスに迷惑をかけてばかりだ……」 そう言っては苦しそうな顔をして無理矢理に笑顔を作った。 「……」 そんなの表情に、シリウスは愕然としたように目の前の少年を見つめる。 何が彼をここまで追い詰めているのだろう。 シリウスはの前に跪いて彼の手を握った。 「俺は、こんな事迷惑だなんて思ったことは無い。……なぜそんな事を言うんだ」 「……シリウスは、僕のことを嫌いでしょう?」 「?」 シリウスは背筋が寒くなるのを感じた。 恐らくは、自分が彼を避けていた事を言いたいのだろう。 ドクン、ドクン。 シリウスは自分の心臓が張り裂けそうなほど早鐘を打っているのを感じた。 「シリウスは……最近……」 「違う!」 シリウスはの台詞を遮ると、その冷たくなった手をきつく握り締めた。 は驚いたようにシリウスの瞳を見つめる。 「それは、違う!それは……すまない、俺が……」 シリウスはしっかりとの瞳を見据えると、その眉をきつく寄せて言葉を紡いだ。 「俺が君を避けていたのは……決して君を嫌いになったからじゃない。俺が、弱かったからだ」 「シリウス……?」 「嫉妬していたんだ……スネイプに。君とスネイプの間には、俺には割り込む事の出来ない絆があると……。そんなつまらない自分勝手な理由で俺は君を煩わせていたなんて……」 そう言って、シリウスはその瞳を微かに伏せた。 「君の傍にはいつもあいつがいて、あいつは君をいつも支えていて……。俺なんて必要ないのだと……」 「そんな……そんな事無い」 は小さくそう呟くと、その首を横に振った。 シリウスがそれに頷くと、は少しだけ安心したように笑う。 「ありがとう……。俺の考えが間違いだと、今気がついた」 そう言ってシリウスは再びの手を握る指先に力を込めた。 「もう見えない振りはできない……。君は今何かを抱えている。きっとそれはスネイプにも言えない事で……そしてそれに関して君が悩んでいる」 はシリウスの言葉に小さく頷くと、苦しげに僅かにその眉根を寄せた。 「君がもし……俺を信用してくれるのなら、俺は君の力になりたい。君がもし俺を必要としてくれるのなら、俺は君の為にどんな事でもできる」 シリウスの言葉に、の瞳が揺れる。 の唇が何度か開閉し、何かを伝えようとするが上手く言葉にならない。 シリウスは何も言わずに見つめると、包むように手を握り締めた。 「……の所為で……セブルスが……」 「……ん?」 「……僕の所為でセブルスが……セブルスが、デス・イーターに……」 「……なに?」 シリウスの瞳が驚きで見開かれた。 その声は僅かに震えている。 「……リータ・スキーターの記事が出たとき……僕はこの記事が本当だということを知っていたんだ。僕には……昔から僕にだけ……未来を見る力があった」 は掠れた様な小さな声で、それでもポツリポツリと語りだした。 シリウスは励ますようにその手を握り続けると、一言一句聞き漏らさないように耳を傾けた。 「……ヴォルデモートは僕のその力が欲しかった。僕には、ヴォルデモートがこのホグワーツに僕を探しにやってくる事を知っていた。僕は勿論彼に組する事などしたくは無かったけど……彼は自分に組しなければ僕の友人たちを……皆を殺すと……だから僕は……彼についていこうと思った。僕がここから居なくなれば、きっとダンブルドア校長が異変に気付いてくれる。そうしたら皆は安全で……僕はそれを確認したら……自分でケリをつけようと、そう思っていた……」 そう言って、は苦しげに唇を噛んだ。 「だからヴォルデモートは……セブルスを人質にして、僕から情報を引き出そうとしていたんだ……。僕が彼に逆らえないように」 そこまで言うと、の頬にツ、と熱い涙が伝った。 「僕の……所為なんだ……!僕の所為で……セブルスがっ……」 「」 シリウスはを抱き寄せると、あやす様に彼の背を撫でた。 細い肩だ……と、シリウスは思う。 はこの苦境に一人で耐えてきたのだ。 シリウスはただ嗚咽を繰り返すの背をゆっくりと撫で続けた。 「君の所為じゃない……君の所為じゃない」 「でもっ……」 「君の所為じゃない」 ゆっくりと言い聞かせるようにそういうと、シリウスは優しくその頬の涙を指で拭った。 「俺は、何があっても君を守るよ。君に何があっても、俺が君を守ってみせる!だから……君があいつを本当に大切だと思っているなら……あいつを連れ戻すんだ、光の世界に」 「シリウス……」 「大丈夫だ、俺が居る。絶対に傍に居るから」 そう言って、シリウスは力強く笑った。 はそんなシリウスの瞳に驚いたように目を開くと、その瞳から再び涙を溢れさせた。 「俺は……君の事が好きだ。俺は君の笑顔が見たい。だから……総てにケリをつけて、その時は……もう一度俺に笑顔を見せてくれないか?」 そう言ったシリウスの痛いほど真剣な瞳に、は自分の視界が歪むのを感じる。 「……シリウス……!僕もシリウスが好き……」 シリウスはの身体を抱きとめると、瞼に唇を落とした。 涙をすくう様に唇を睫毛に触れさせると、そのままその唇をの唇に重ねる。 微熱とともに抗いがたい甘さが身体を覆った。 シリウスは気持ちを確めるように何度も口付けを重ねると、その背をしっかりと抱き寄せる。 「君は、俺が守る。その身体も、心も……全部!」 シリウスの呟きは、しっかりとの心に刻み込まれていった。 |
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