主席 <ギルデロイ・ロックハート>

!今日も教わりに来てあげたよ!さぁ、しっかり教えたまえ」
そう言って大声を張り上げながら、ギルデロイ・ロックハートが図書室の扉を開け放った。
周りの女子は小さく悲鳴を上げたり顔を赤くしたりしながら遠巻きに彼を見つめ、反して殆どの男子生徒からは怒りと嫉妬の視線を彼に送った。
「さぁさぁ、何をボーっとしているんだい。今日は呪文学の勉強だっただろう?」
そう言いながら彼は大またで僕の席に近づき、にっこりと笑顔を浮かべながら向かいの席に腰をかけた。
風を切って彼がその長いコンパスを動かすと、彼のローブが優雅に翻る。
これだけ図書館を騒がせておきながら彼が何の咎めも受けないのは、偏に彼のカリスマの賜物だと思う。
加えて、彼が類稀な美貌の持ち主だった事もそれに大いに加担しているだろう。
僕は読んでいた本を片手で閉じると、ゆっくり彼に向き直った。
「やぁ、ギル」
「やぁ。ところで君の持っている教科書は魔法薬学の教科書じゃないのかい?」
ギルはそう言って僕の教科書を覗き込むと、笑顔のまま首をかしげて質した。
「そうだよ。キミは昨日、今日は魔法薬学を勉強すると言っていなかったかい?」
「ウム……そういえば、そう言ったかもしれないが、僕は今日魔法薬学の気分じゃなくてね。呪文学の勉強をしたい」
悪びれなくそう言う彼の瞳に僕は苦笑すると、それでも軽く頷いた。
「いいよ、じゃあそうしようか」
「じゃあ、教科書を持ってきたまえ」
ギルはそう言うと、目の前の椅子にもたれ掛かって僕を見下ろした。
さらさらと、彼の髪が零れる。
僕はそんな彼の髪に視線を止めながら、軽く首を振った。
「いや、呪文学なら持っているよ」
気まぐれな彼の事だ、こうして勉強したい教科が変る事など少なくない。
そのため僕は常に数種類のテキストを持ち歩いていた。
「そうか、じゃあ早速始めようじゃないか」
ギルがにっこりと微笑みながら自分の教科書を開いた。


「そこは違うよ、ギル。燃焼の呪文は『ヴィペラ エヴァレシカ』か『インセンディオ』だよ」
テキストを開いて、既に1時間が経過した。
飽きっぽいギルが、こうして毎日勉強を続けているのは珍しい。
毎日何だかんだと言いながらも、この頃の彼は勉強を欠かしたことが無いのだ。
ギルはその形のよい眉を顰めたまま、僕の指先を眼で追う。
「なぜ『ルーモスソレーシカ』ではいけないんだい?」
ギルはテキストに視線を落としたまま、羽ペンをくるくると回しながらそう呟く。
「確かに似ているけど、『ルーモスソレーシカ』は発太陽光呪文なんだよ。実際の燃焼に必要な発火作用が無いんだ」
僕は図書室の蔵書の呪文集を開くと、彼に指差した。
「……そんなもの、どちらでもいいじゃないか」
「まぁ確かに口で紡ぐ呪文なんて法力を起こす暗示みたいな物だから、実質はそれほど関係のあるものではないのだけれどね」
僕はそう言うと、ギルの指先に視線を落とした。
ギルの羊皮紙はしっかりと言われた通りに訂正されている。
僕は微かに笑うと、呪文集の次ページを開いた。
「……、何がおかしいんだい?」
ふと見れば、ギルがいぶかしむように自分に視線を寄越している。
「おかしい?なぜ?」
僕は呪文集を閉じると、彼の大きな瞳に視線を合わせる。
「何故って、キミは今僕を見て笑っていただろう」
そう言って、ギルは不貞腐れたようにその唇を尖らせた。
そんな仕草も、ギルがするとどこか美しいと思える。
僕は思わず苦笑を浮かべて「ごめん」と謝ると、ギルは更に不貞腐れたようにその眉根をしっかりと寄せた。
「なぜ謝るんだ、キミは。僕が何かおかしなことをしたかい?」
「いや……見惚れてたんだよ、キミに。ごめん、ギル」
僕の言葉に、ギルは呆れたようにポカンと口を開けた。
「……ギル?」
僕は黙りこくったギルの前で掌を閃かせると、その明るい瞳を覗きこむ。
「……馬鹿か?キミは」
たっぷり10秒ほどの後、ギルがその頬を赤く染めてそう口を開いた。
「ん?そうかな」
僕の言葉に、ギルは当たり前だとでも言うように首を振った。
「だいたいそういうことは女性に言われて喜びこそすれ、男性に言われて喜ぶ事じゃないだろう。まぁ、男性と言えど、僕に惹かれてしまう気持ちは解らなくは無いけどね」
そういうと、ギルは盛大な溜息をついて肩を竦めた。
「うん、そうだよね、ごめん」
僕はそう言って笑うと、ギルは再び怪訝そうに眉根を寄せた。
「解ったのなら、さっさと次の項を教えてくれ、主席君」
「うん、そうだね」
そういって、僕は自分のテキストの次のページを開く。
ギルは不機嫌そうな顔のまま、それでもテキストに視線を落とした。
そんな仕草もギルは絵になる。
そんな事を言ったら、また怒られてしまうだろうけど。

「ん?」
「僕に、惚れるなよ」
「ええ?」
ギルは羊皮紙に視線を落としたまま、ぶっきらぼうにそう言い放った。
「どうして?」
「キミが僕を好きになって、僕の目標が消えたら困る」
「目標?」
羊皮紙の上を滑る羽ペンの小気味のよい音を聞きながら、僕はギルにそう質した。
「キミから、主席の座を奪うという目標だよ」
「ギルに惚れちゃうと、キミが主席を取れなくなるの?」
僕の問いにギルは勿体をつけたようにその瞳を僕に向けた。
「キミが僕を好きになったら、キミが僕に遠慮をして成績を落として僕が自力でキミから主席の座を奪えなくなるじゃないか」
「………」
僕が目を開いてギルを見つめると、彼はその顔にいつもの笑顔を浮かべてしっかりと僕の瞳を見つめ返した。
「……無理だって言ったら?」
「無理?……そうだな……えっと、忘却の呪文……」
「オブリビエイト?」
「そう、オブリビエイト!それでキミの記憶を消してあげるよ」
そう言って、ギルは蕩けるような笑顔を僕に向ける。
「そう、じゃあその日までに忘却呪文をマスターしておかないとね」
「そうだね、その日までには一番の得意呪文にしておくよ」
そういって、ギルは再び羊皮紙に視線を落とした。
僕は再び呪文集を開く。
ふと、真剣に羽ペンを動かすキミの瞳に視線を寄せた。
ごめんね、ギル。
キミが僕にこうして会いに来てくれるうちは、僕はキミに主席は渡せないんだ。
だってキミが主席を取ってしまったら、もうここには来てくれないでしょう?

「……知っているかい、。忘却呪文は人の記憶を忘却させるだけじゃなくて……記憶を修正する事も出来るんだよ……」
彼の呟きを、僕は都合よく聞かなかった事にする。
そんなものを使わなくても、僕の気持ちはもう決まっているんだから……。

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