Dr.ユージィンの静かな寝室

真っ白なシーツに埋もれるようにして、ユージィンはベッドの中に収まっていた。
月明かりに照らされた頬は僅かに熱を帯びて赤味がさし、その唇からは熱い吐息を吐き出している。
普段の雪のような色の白さからは程遠い、茜色をした肌が薄暗い部屋では妙に艶かしい。
ユージィンはその形のよい眉根を僅かに寄せながら、薄く紅を引いたかのような唇を僅かに開いた。
「……んっ」
ユージィンはむずがるように身を捩ると、長い吐息をつきながら長い睫毛を気だるげに引き上げた。
その白い天幕が上がると、青水晶のように青く輝く透き通った瞳が露わになる。
まるでそれは月明かりに照らされ燦然と輝く星のような神秘的な輝きだった。
「……おや、お目覚めになりましたか?ユージィン様」
まだ半分ほど夢の世界にいるユージィンの耳に、聞き慣れた甘く響くテノールが囁く。
主人の目覚めに、夜通し彼の元に添っていたアルヴァレートがその涼しげな瞳を開いた。
「ん……アル……?」
ユージィンはその睫毛をゆっくりと伏せ、まとわり付くシーツを払いのける。
「はい、ちゃんとお隣におりますよ」
アルヴァレートはそう言って薄く笑うと、隣で眠るユージィンの髪をさらりと撫で上げた。
指に絡むその艶やかな感覚が心地いい。
――まるでグラスファイバーのように美しい……。
いつだったか、昔誰かがユージィンの髪を例えてそう表した人物がいたな、とアルヴァレートはふとそんな規視感に襲われた。
自分ならば美しい髪を例えるなら「絹糸」であるとかもう少し芸術的な例えをするだろうと、アルヴァレートは思う。
しかし、そんな「グラスファイバー」というような硬質的なイメージも、言われてみれば案外しっくり来てしまう様な気がする。
それはやはり最先端の技術を習得し、最先端の科学を研究し、尚且つユージィン自身が「感性」や「印象」等といった芸術に対する観念が薄い事も関係しているかもしれない。
アルヴァレートは何度かその行為を繰り返すと、その僅かに赤味を帯びた頬の汗を軽く拭った。
「……アル……今……何時だ?」
不意にかけられた主からの言葉に、アルヴァレートは瞳を上げた。
その瞳には僅かに悪戯っぽい光が輝いている。
「まだ夜明け前ですよ、ユージィン様。……昨日はあれほど汗をおかきになったのですから――まだお休みになられた方がよろしいと思いますね」
そう言ってアルヴァレートは寝乱れたシーツをユージィンの肩まで掛けなおしてやる。
不意に反論を試みたユージィンが背を起こそうとすると、アルヴァレートはその肩をやんわりとつかんでベッドに押し返した。
「ああ……今起き上がるとまたお身体が痛みますよ?」
そんなアルヴァレートの言葉にユージィンは悔しげに頬を染めると、一瞬その口をつぐんだ。
「……き、キミは僕の質問に答えたらいいんだ」
口ではそう言いながらも、背部に走る痛みに目尻を潤ませる。
普段は大人びた口調で大人たちを子馬鹿にしたような発言が多いユージィンも、こういう時には歳相応に見えるものだ。
アルヴァレートは嘆息しながらもその顔に微笑を浮かべたまま、銀色のアンティーク時計に視線を走らせた。
「今は朝の4時38分ですよ」
「4時半?」
「ええ」
ユージィンはだるそうにその白く細い指で自分の額を撫で上げると、トントンとそのまま額を叩く。
「昨日ベッドに入ったのが……9時だ」
「そうですね」
アルヴァレートはそういって主人の手元に視線を止める。
「……そうか、それじゃあ身体が痛むわけだ。薬が切れてる」
ユージィンはそう言うと辛そうにアルヴァレートに視線を寄越した。
アルヴァレートはユージィンに視線を返すと、傍の椅子から立ち上がりながら質す。
「お熱を計りますか?」
「いや、それよりも……薬を取ってくれ」
ユージィンはそう言って熱の為に痛む節々をさすりながら上半身を起こした。
アルヴァレートはそんなユージィンの背中を支えると、再びこれ見よがしに嘆息した。
「だから申し上げましたのに、あんなに雨の中を走り回られて……。いいですか?寒さは風邪の一番の原因なんですよ?」
「……医者のボクに病気の説明をする気か?アル」
アルヴァレートの言葉に、ユージィンはバツが悪そうにそう反論する。
しかしアルヴァレートはそんなユージィンの言葉を意にも解さないように淡々と言葉を連ねた。
「医者の貴方が風邪をお召しになるからです。医者の不養生とは良く言ったものです、まったく……」
「医者だからって病気の一つや二つはするだろう!」
「しかし、風邪は防ぐ事が出来ますよ、ユージィン様」
アルヴァレートはそう言いながらユージィンの顔に直接光が当らないように手元の明かりを小さくつけると、手際よく冷えた銀の水差しとグラスを用意する。
ユージィンはそんなアルヴァレートの背中を見ながらふと枕もとに視線を寄越した。
「……なんだ、これは?」
そう言いながら、ユージィンは自らの隣に鎮座する巨大なピンク色の物体を引っ張り上げた。
と、そこでその物体が何であるかを理解したユージィンは、思わず不可解そうな声をあげた。
「……なっ、ウサギ?!」
まさにそこにあるのは巨大な兎の縫いぐるみだった。
大きさはユージィンの腰程まであるだろうか。
手触りは上質のタオルケットのようで、抱き心地は上々だ。
ユージィンはそんなピンクのウサギをねめ回すと、ジロリとアルヴァレートを睨みつける。
「……アル、これは新手の嫌がらせか?」
「私がユージィン様に嫌がらせをするなら、もっと気の利いた嫌がらせをしますよ」
そう言いながら、アルヴァレートは一通の手紙をユージィンに差し出した。
「それはアキラ ナツミ様からのお見舞いです。2日前にお電話を戴いた際にユージィン様のお風邪のことも申し上げておきましたので。一応、いつものように先に中身を確認させていただきました後、そのようにそこに置かせて戴きました」
アキラ ナツミ……夏水アキラといってユージィンが第2のホームタウンである香港に滞在している間に知りあった人物である。
何故か日本通で、日本から香港でも売れそうな電気製品や雑貨を輸入・販売したり、逆に香港のアパレルや中華料理店でよく使われるような中国産の食材、調味料、または台所用品などを卸したりといった貿易会社の社長である。
ユージィンとアキラという一見なんの共通点も内容に思われる二人だったが、何故か彼らは偶然に知り合った最初から馬が合った様で、ユージィンが香港を訪れる度に訪問をしてはお茶を交わす仲になっていたのだ。
それにしても、彼がこの縫いぐるみを買っていた所は想像するに難い。
しかも、お見舞いの品を何にするか相当悩んだであろう事も想像できる。
おそらくこれは彼の会社の優秀なシステムエンジニアであるエクセルが案を出し――これは恐らくユージィンの反応を想定した悪戯目的であろう――彼の秘書であるカオルーンが商品入手の為にお使いに走らされた結果だ。
「だからといって何でここに置くんだ!邪魔じゃないか」
「それほどユージィン様のベッドは狭くはありませんでしょう?それに、縫いぐるみの横でお休みになるユージィン様はとてもお可愛らしかったですよ?」
アルヴァレートはそう言いながらにっこりとユージィンに微笑む。
ユージィンは何度か口を開いたり閉じたりしたが、結局その唇を大人しく閉じた。
普段のユージィンならここで口をつぐむ事は無いが、今日は体調が体調だ。
ユージィンはぐったりとプレゼントの縫いぐるみに体重を預けると、恨みがましくアルヴァレートを睨み付けた。
これがアルヴァレートの言う「もっと気の利いた嫌がらせ」と言う奴なのであろうか?
もっとも……ユージィンも解ってはいるのだ。
アルヴァレートが怒っているのは自分を心配しているからだという事は。
「……頭痛くなってきた。アル、早く薬を取ってくれ」
「……畏まりました。今日はどのお薬をご使用になりますか?」
アルヴァレートはその表情をいつもの執事の顔に戻すと、足早に薬棚へと近づいた。
「バッサミン、解熱鎮痛用の錠剤だ……」
ユージィンは縫いぐるみに顔を埋めながらそう言うと、アルヴァレートは手際よく薬品棚の中を見回す。
「……これですか?ユージィン様」
アルヴァレートはそう言うと一つの瓶をユージィンに手渡した。
「……これはブテラジンじゃないか……これは血管収縮作用のある薬だよ……キミはボクを脳梗塞で殺す気か……?」
ユージィンはがっくりと項垂れるとアルヴァレートに瓶を付き返す。
「ボクが欲しい薬はバッサミン。製品名はアスピリン・ダイアルミネート混合薬と言ってサリチル酸系解熱鎮痛剤だよ。1錠中アスピリン330 mg,ダイアルミネート150 mg――ダイアルミネートはアルミニウムグリシネート1:炭酸マグネシウム2の混合物で……いや、いい……とにかくくれ……」
ユージィンの言葉に、アルヴァレートは無言で頷くと、暗がりの中漸く目的の薬を探し出した。
「遅くなりました、どうぞ」
そう言いながらアルヴァレートは銀の水差しから冷たい水をグラスに注ぐと、錠剤と共に磨き上げられたトレイに乗せてユージィンへと差し出した。
「……それをお飲みになったら、もう暫くお休みください」
「ああ……」
アルヴァレートの言葉に短く答えると、ユージィンは出された錠剤を飲み下す。
冷えた水が喉に心地よい。
一頻り冷たい水で喉を潤すと、ユージィンは再びシーツを身体に纏った。
そうしてベッドに横たわると、トロトロと浅い眠気が彼を包む。
アルヴァレートはそっとシーツを主人の肩まで引き上げると、僅かに安心したかのように嘆息した。
「ゆっくりお休みください、ユージィン様……」
ふわり、と冷たい風がユージィンの頬を撫で上げ、アルヴァレートの髪を揺らす。
アルヴァレートは手元の明かりを静かに消すと、再びユージィンのベッドの隣に設えた椅子に腰を下ろした。
月明かりが、ユージィンの赤い頬を柔らかに照らす。
アルヴァレートは思わず苦笑を漏らした。

「早くお体を治して、いつもの笑顔を私に見せてくださいね、ユージィン様」
彼の執事、アルヴァレートの呟きがユージィンの耳に届いたかどうかは彼のほかに知るものは居ない……。


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後書き

この小説はサッカリン様からの130000アクセスの代理リクエストのオリジナル小説「Dr.ユージィンシリーズ」の短編でございます。
今回、リクエスト戴きましたサッカリン様のキャラクターも多数出演させていただきました。
そして、勝手に一部の文章(会社の説明)を抜粋させていただきました、ごめんなさい、サッカリン様(汗)。
お約束通りユージィン風邪引きネタです。
冒頭はBLと見せかけて、実は風邪ネタ(笑)。
ユージィンシリーズでBLは難しいのかどうなのか(笑)。
こんなものでリクエストにお答えできているのかどうかもわかりませんが、お納めください。
サッカリン様、リクエストありがとうございました! 朝比奈歩

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