DESERT ROSE |
それは、砂漠に咲いた花だった。 美しい薔薇の形をしたそれは、しかし、近づけばそれが本物の花ではない事がわかる。 硬く、生気を伴わない花。 見かけだけの艶やかな姿。 オレの人生と、酷く似ている。 「またそんな顔をして。そんな風に眉を顰めていると、そういう顔になってしまいますよ」 「ん、ハードボイルドキャラでいいかもな」 「まあ、素直に言うことを聞くとは思いませんでしたけどね」 クフフ、と骸は独特の笑い方をすると、無言でオレの隣に腰掛ける。 質の悪い軋むスプリングの音が、やけに耳についた。 「何を考えているんです?」 骸は、その感情のこもらない無機質な声でそう質した。 温度のない声音が、変に心配されるよりよっぽど優しく響き、つい話してしまいそうになるのを堪えながら、ただオレはどこまでも青く澄んだまぶしい空を見つめた。 「なんだろうな」 それは、半分嘘で半分本音。 話してしまえば取りとめもなくつらつらと思いが口をついて零れでるだろう。 しかし、何か一つのことを真剣に思考しているわけではない。 「秘密主義ですね」 「お前ほどじゃないさ」 オレは組んでいた足を解くと、小さく溜息をついた。 四角く切り取られた窓。 いまはその向こうに手が届くというのに、なぜこんなにも心がざわめくのだろうか。 「……可笑しな人ですね、君は。まだあのころの方が今よりもいい表情をしていましたよ、」 骸の何気ない一言にズキンと胸がうずく。 「なあ……お前と見る空は、いつも四角いな」 「………」 四角い空。 それは、オレの檻の象徴だ。 施設から出て自由を手にしても、どこか拭い去れないオレを縛り続ける見えない鎖の感覚。 感じられない自由の風。 それはオレ自身の心に潜む闇なんだろうか。 「らしくないですよ、。今日の君はひどく弱気だ。まあ、そういう君も嫌いじゃないですけどね」 クフフ、と冗談めいて笑う骸の声音は、先ほどと違って僅かに優しい。 「まるで、僕を誘っているようです」 じわり、と染み込んで来る骸の声に頭の芯が痺れたように震えた。 「おい、骸――」 言いかけた言葉を遮るように、骸の唇がオレの唇を塞ぐ。 ふわり、と触れるだけの挨拶のようなそれ。 オレのとがめる様な視線を受け、骸は吐息だけで悪戯っぽく微笑んだ。 「君があんまりにも可愛いことを言うからですよ」 あまりにも悪びれない態度に、オレは思わず溜息をついた。 「ホント、お前と居ると調子狂う」 オレは脱力してソファに上半身を投げ出すと、その勢いで骸の鳩尾に一発拳を食らわせる。 「……っ!――酷いですね、慰めてあげたというのに」 そうはいいながらも、薄く笑ったまま骸がオレを見下ろす。 「あーぁ、昔はあんなに可愛かったのにな、骸」 「クフフ、君は今でも可愛いですよ」 あの頃と変わらない軽口。 オレたちは、ちゃんと前へ進んでいるんだろうか。 目が覚めると、そこは見知らぬ部屋の白い天井だった。 おそるおそるシーツから手を出して動かしてみれば、痺れていたはずの指も滑らかに動く。 身体のあちこちは軽く痛んだが、疲労や緊張はもう殆ど残っていなかった。 「ここは……どこ……」 僅かに痛む節々をかばいながら、オレは半身を起こした。 何度思い出そうとしても見覚えがない。 「……!目が覚めたのか……」 不意にドアが開き、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。 その人物は後ろ手にドアを閉めると、笑みを浮かべて小走りに走り寄ってきた。 「良かった……」 嬉しそうにそう言うと、その男は優しげにオレの頭を撫でる。 「し……進兄さん?」 オレはゆっくりと回らない頭を覚醒させるべく、ゆっくりと記憶を探る。 「ああ、助けるのが遅くなって……本当に悪かった」 ゆっくりと目を伏せ、進兄さんはオレに隠れるように涙を拭う。 「なん……で、ここに?」 オレの質問に、進兄さんは優しく瞳を細めると、オレの髪をなでつけながらポツリポツリと語りだした。 「2年前、オレが逃亡生活を嫌って家出してから……暫くはお前達の居所をちゃんと掴んでたし、無事で居ることも知ってた。オレは仕事を見つけ、それなりに順調にやってた」 進兄さんはそう言って眼鏡を上げると、オレの手を握る。 「オレは素性を隠し仕事を続けていたが、ある日お前達の足取りがぱたりと途絶えたんだ。オレは嫌な予感がして、お前達のことを調べようとしたら……お前達の居所がバレ、ファミリーの手のものが向かっているって情報を掴んだんだ。オレはなんとかお前達を助けようと急いで向かった。けど、僅かに遅かった。オレの力が及ばなかったばっかりに……助けられたのはお前だけだ……ごめんな、」 そういうと、兄さんは震える手でオレを強く抱きしめる。 まるで、窒息しそうになるまできつく抱きしめられたが、オレはただ呆然と為すがままにされていた。 あの日から今まで起こった事は、既に自分の脳の処理能力の許容範囲を超えている。 ただ、進兄さんの言ったことを頭に叩き込むことしか出来なかった。 それでも、たった一つ気にかかっていたこと。 「アユム……は?」 「………」 進兄さんの腕が、僅かに緩む。 「アユムは……見つかった?」 「済まない……あれから手を尽くしたけど……アユムは探し出せなかった……」 オレはぼんやり「そうか」とだけ思った。 「、オレはお前だけは守るから……!だからこれからは、二人でがんばろう。な?」 オレは唯、ぼんやりと頷いた。 ガタリ、と立て付けの悪い扉が軋む音がする。 不意に骸はオレに向けていた視線を上げた。 「ああ……千種ですか?」 言葉どおり、千種はふらふらと部屋まで入ってくると、そのままドサリと床に倒れこむ。 「おや、当たりが出ましたね」 感心したように、骸は千種を眺める。 「千種来ましたー?あれ、ひゃー、だっせー!」 つられる様に犬が千種に近づく。 「レアだよ、レア……っひゃ、血ぃうっまそ!……ん?」 「……し……て」 「噛むな、犬!」 「骸さん、千種なんか言ってますよ」 不思議そうに犬が千種を覗き込んでいる。 骸は、少し興味をそそられたように千種の口元へと視線を移した。 「ほう……何を言っているんです?」 「んっと……『レイン』……?」 「……ん、オレ?」 「……『なんで……邪魔をした……?レイン……』――どういうことなんら?」 「邪魔?」 オレはほぼ無意識であろう千種を見下ろす。 「邪魔……と言っても、はずっと僕と居ましたしね」 「れも、柿ピーはそう言ってます!それに、こんな目立つ奴、見間違えるわけないれす!」 犬は噛み付くような勢いでオレをにらみつけた。 「確かに……なにか謎があるようですね」 ふむ、と何かを思案するように骸は視線を伏せる。 「謎……あっ例えば誰かがこいつに変装してたとか!」 犬が千種をベッドに運びながら、名案を思いついたかのように骸を振り返る。 「なんであいつらがオレの変装する必要があるんだよ」 オレは呆れたように犬を制する。 「動揺させて柿ピーを倒すためら!」 「だいたい、向こうはオレの顔も知らないだろ。それに変装程度なら千種だって気がつくさ。そこまでのヘマはしないだろ」 「むむっ……」 犬はそういうと観念したようにその場に座りこんだ。 変わりにオレは救急箱の蓋を開けて、千種の傷の手当てを始める。 「まあ、ボンゴレについて何もつかまず、千種が手ぶらで帰ってくるはずがない。目を覚ますまで待ちましょう」 骸がそういった瞬間、突然犬はまるで先ほどより更に名案が思いついたと言わんばかりの笑顔を骸へと向けた。 「あっわかった!」 「ほう、なんです?」 面白そうに骸が犬を質す。 「レイン、お前双子の兄弟とかなんとかいるんらろ!」 瞬間、オレの背に氷よりも冷たい電流がゾクリと走った。 まさか。 「何を言い出すかと思ったら……犬、もう少しまともな――おや……、どうしたんです」 包帯を持つオレの手が震えているのが解る。 「……?どうしたんです?顔色が……」 なぜ、オレはそのことに気がつかなかったのだろう。 考えてみれば至極簡単なことだったのに、オレの思い込みがその邪魔をした。 あの男は……アユムは生きていたのだ。 そうであれば、千種がオレと見間違えたのも不思議ではない。 笑えるほどに、オレの唇が、喉が震える。 「居るんだ――双子の兄弟、が……」 「どういうことだ!あなた方はオレたちを保護してくれると言ったじゃないか?!」 ドアの向こうで数人の言い争う声が聞こえる。 そのうちの一人は進兄さんだ。 会話の内容からいって、穏やかではなさそうだ。 オレは必要最低限の荷物を取り上げると、そろり、とドアに近づく。 「言ったがな、少々事情が変わってきてるんだ」 ダークスーツの男達が、顔にむかつく様な笑いを貼り付けながらニヤニヤと進兄さんを見下ろしている。 「我がエストラーネオファミリーもいつまでも慈善事業をしていられるほど余裕でもなくなって来てね」 大層な溜息をつきながら、それでもその表情は狂気じみた笑顔が張り付いている。 「だからっ……『あの情報』を持参金代わりに渡したじゃないか!」 「ああ、とてもありがたかったよ。で……つまりお前さん方はもう用済みってことさ。ああ、違うな。『あんた』は用済みだ」 「……なっ!?」 心がざわざわする。 悪意のある人間の冷たい空気だ。 進兄さんを助けなきゃ……! オレはカチャリとサイレンサーつきの銃の安全装置を引くと、ドアを薄く開けた。 敵は二人。 一人を奇襲で倒し、もう一人はなんとか自力で倒すしかない。 オレは薄く開けたドアの隙間から、進兄さんを見下ろしている相手の胸に照準を定めた。 ――もう少し右……今! シュン、と風を切る音だけを発し、弾が男目掛けて奔る。 瞬く間に、男の左胸から赤い花が咲いた。 「……糞ガキっ!」 もう一人の男が銃を引き抜くと同時に、オレはドアの外へとすべり出る。 痺れる指で、再びトリガーに指をかけた。 「兄さんっ!」 叫びながら引き金を引くと、その男も銃を握り締めたままドサリと床へ倒れ込む。 「……!なんて無茶を……!」 進兄さんはそういいながらオレの無事を確認するように全身を眺める。 「……いや、今はそんなことを言っている場合じゃない。逃げるぞ、!」 「……まあ、逃がすわけにはいかないんだ。悪く思わないでくれ」 繋いだ進兄さんの手がびくりと震える。 ゆるりと振り返れば、既に数人の男達によって退路を立たれる形となっていた。 「……くっ!」 両手を広げて、守るように男と俺の間に進兄さんが立ちふさがる。 「……いいか、、部屋に戻って、窓から逃げるんだ!」 「でも、兄さん……っ!」 「ごめんな……最後まで守れなくて……。いいか、合図をしたらすぐ逃げろ!」 進兄さんはそういってぎこちなく笑うと、再び男の方を向いた。 「最後のお別れは済んだかい?残りは向こうでやってくれ……あばよ!」 そう言ってリーダー格の男の銃が火を噴いたのと、兄さんがオレを突き飛ばしたのはほぼ同時だった。 「兄さんっ……!!」 「逃げろ……」 まるで、スローモーションでも見ているかのように進兄さんの身体が床に伏していく。 ――総て亡くした。 父母も、アユムも、進兄さんも。 プツリ、と何かが音を立てて壊れる音が脳裏に響く。 その後は何も覚えていなかった。 ただ、気がつけば血の海の中、唯一人オレは生きてそこに立っていた。 冷たくなった兄の亡骸を見下ろしながら――。 |
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