U.ジンジャークッキー:10年後 六道 骸 |
「ん……雪か」 不意に頬を濡らす冷たさに、はおもむろに天を見上げた。 ホワイトクリスマスなんて久々だな、などとぼんやりと取りとめも無いことがの頭をよぎる。 骸と別れて既に9年の月日がたった。 永い、と思わないでもない。 しかし、実際何をすることも出来ず今に至っている。 はただ薄い雲の張った天を見つめ続けた。 ちらほらと雪が舞い落ち、まるで自分自身が天へと上って行っている様な不思議な感覚にさえ陥る。 妙に、緩慢な時間。 「ねえ、見て、雪よ!ホワイトクリスマスなんてロマンチック!」 不意に上がる少女の嬌声に、突如としては現実に引き戻された。 はジャケットの襟を立てると、豪奢に飾り立てられたアーケードを早足に歩き去る。 クリスマスなど関係ない、そして下らない。 本心から、はそう思っていた。 はキリスト教徒では無いし、そもそも神という存在を肯定してすら居ない。 キラキラと煌くデコレートされた飾りに、思わず舌打ちがもれる。 では、何故こんなにも苛付くのだろうか。 は溜息をついた。 答えは明確だ。 骸が居ないから、ただそれだけだ。 骸といた時間は、居ないそれと比べれば極端に短いだろう。 23年の人生のうち、たかだか3、4年のことだ。 しかし、それでも自分の身体は骸の熱を覚えている。 思わず、自嘲の笑みが漏れた。 この喪失感は何だ。 「……くそっ」 は、乱暴に路肩の石を蹴り上げた。 カラカラと寒々しい音を立てて、石は道を転がる。 不思議と、その石は通行人の誰にも巻き込まれること無く何かに導かれるようにカラカラと道を進んでいく。 は、それを唯ぼんやりと目で追った。 しばらく転がった後、緩やかなカーブを描きながらその石はゆっくりと正面から向かってくる男のブーツに当たり、その動きを止める。 カラン、とその石は一回転して男の足元に横たわった。 瞬間、の心臓はまるで別の生き物のように激しく打ち震える。 「おや……いい男がクリスマスに一人とは淋しいですね」 聞き覚えのある、嫌味が嫌味に聞こえない耳障りの良い声。 「む……くろ?」 それでも疑問形になってしまうのは、いまだこの現実を脳が把握していないからだ。 「おや、僕の顔を見忘れてしまったんですか?つれないですね、」 「忘れるか、馬鹿」 穏やかに、しかし少しの悪戯を含んだその響きにはすぐさまぶっきら棒に否定を表す。 「そうですか、それは良かった」 クスリと吐息だけで笑うと、骸は静かに近づきの髪に降り積もる雪を優しく払う。 「こんなにいい男が、クリスマスに予定の一つも入っていないんですか?」 髪の雪を払い、そのまま指先をの形の良い白い頬に這わせる。 「それはお前もだろ」 冷たい指先に、それでも骸のぬくもりを感じる。 「心外です。僕は君の為にわざわざ空けておいたんですよ」 「オレもだよ」 「それは嬉しい事を。まあ、今とっさに考えたにしては上出来な答えです」 そういうと、骸はその端整な顔に笑みを浮かべる。 「で、今後はどうする予定だったんです?」 「家に帰るだけさ」 「それはいい。是非御一緒しましょう」 当然の如くそういうと、骸はの隣に肩を並べた。 右肩が妙にそわそわとくすぐったい気分になるのを悟られないように、は小さく悪態をつく。 「……また、背伸びやがって。向こうじゃ大したもん食べて無いくせに」 「大した物食べてないことは本当ですね。それでも伸びてしまうんですよ、君と違って」 「オレだって伸びたさ!」 「それでもいいとこ5,6cmですね」 「日本人の平均身長は越えてんだから、良いんだよ」 そういうと、は吐息をつく。 話したいことはこんな事ではないのに。 「どうしたんです、溜息なんかついて」 「オレはお前といると、悪態ばっかりついてるな」 「……そうですね。でも、それが愛情の裏返しということは判りますよ。だから、僕は君のそんな所も可愛いと思えるんです」 ――まるでジンジャークッキーのようですね。スパイシーで、それでも甘い。 骸はそう言って屈託無く笑うと、の髪を優しく撫ぜる。 胸の奥に秘めた思いが胸からあふれ出そうになり、は思わず瞳を伏せた。 「おや、思ったほど広い部屋に住んでいないんですね」 骸の感想に、部屋の明かりをつけながらは苦笑を浮かべる。 「あのな、オレの生活上一所に住んでいられないのはお前もわかるだろ?どうせ1年かそこらの住処にそんな豪勢さ必要ない」 そう言うと、はエアコンのスイッチを入れる。 僅かな唸り声を上げ、しばらくするとエアコンは暖かい息を吐き出した。 「もう、君は逃げる必要無いんですよ」 「………」 不意に響いた声に、は薄く唇を噛む。 「君は、以前君の言っていた『本当の自由』を手に入れたじゃありませんか」 そう、その筈だった。 しかし、それと引き換えに……は骸を失ったのだ。 自由が、こんなに空しいものであったなら、そんなもの望まなかった。 は、その長い睫を伏せる。 「気に病む事はありませんよ、。貴方が幸せならば、それでいいんです」 そういって笑う骸に、は視線をやった。 「見え透いた嘘、言うなよ」 「おや、バレましたか」 そう言うと骸は相好を崩しクフフ、と独特な笑い声をこぼす。 「ええ、僕はまだ諦めていませんよ。野望も、そして君のこともね」 そう言うと、骸はを抱きすくめた。 ふわりと鼻孔を付く、骸のジャケットから香る骸の香り。 そんな当たり前の事にさえ、は例えようも無い脳が痺れる様な懐かしさに襲われる。 「なぁ……骸、今日どうしてここに来たんだ?」 「言ったでしょう?君と過ごすためですよ」 耳元で囁かれ、は首筋の体温が上がるのを感じる。 「だってお前……」 「何です?」 まるで何事も無いようにそう聞き返され、は思わず口を噤んだ。 ――だってお前、まだあの冷たくて暗い部屋に囚われたままじゃないか。 その言葉を言ってしまったら、まるで骸がここから消えてしまうような気がした。 それでも、すがる様な気持ちで、この温もりを確かめたくて、は骸に質す。 「コレ……誰の身体だ?クロームか?」 「クフフ……随分と野暮なことを。ねえ、……僕は僕ですよ。」 「でも」 「いいですか、今日の僕は他の誰でもありません。貴方の為に戻ってきたんです。それでいいじゃないですか」 そう言うと、骸は僅かに身体を離しの瞳を覗き込む。 の色素の薄い橙色の瞳に、宝石のような骸のオッドアイが映し出された。 「おやおや……いつの間にそんなに涙もろくなったんですか?歳の所為でしょうかねぇ」 「放っとけ」 「放っておけるわけないじゃないですか。ね、僕の可愛い」 骸はそう言いながら、薄く笑った形の良い唇をのそれに寄せる。 「……どうせまた、明日になったら戻っちまうんだろ」 聞きたくない、その返事。 しかし、の意識とは裏腹に、その言葉は口から滑り出て、空気に溶けた。 「……今の僕は貴方の為だけに存在する。それで許してください」 僅かな間をおいて、骸の口から苦しげに言葉が漏れる。 心が壊れてしまいそうな沈黙に、は背中に回した指先が痺れるほど骸のジャケットを握り締めた。 「愛していますよ、。初めて貴方にあった日からずっと」 静寂に溶けるように、甘く呟かれた言葉。 「もう少しして、僕たちの野望が完成したら……今度はが嫌がるくらい、傍にいてあげますから」 僅かにおどけた様な骸の言葉に、も少しだけ笑う。 「そうだな……。約束だぜ」 「ええ。……約束、です。」 聖夜に交わされる、固く切ない約束。 今二人は、厳かに誓う。 「それまでは、夢で会いましょうね」 |
次回予告:雲雀恭弥 |
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