V.Mr. Santa Claus:10年後 雲雀恭弥 |
静かな広い部屋に、コンピューターのファンの回る鈍い音、CPUの稼動する音、リズミカルに叩かれるキーボードの音だけが響いている。 白い壁に、シンプルな家具。 機能を最優先にしているこの部屋だったが、それでも簡素・質素といった印象を受けないのは偏に選んだ人間のセンスが良かったからだろう。 その機能的で無駄が無いが決して無骨ではないスマートなデスクに、この部屋の主は足を組んでディスプレイに向かっていた。 まるで磁器のように白い肌はディスプレイの青白い光を受けて更につややかに煌いており、その形の良いアーモンド形の瞳は、時折眼鏡の奥で何かを考えるように細められる。 「……ああ、もうっ」 暫くそうしていた後、男……雲雀は観念したようにディスプレイから視線を外した。 軽く身体を伸ばせば、椅子の背もたれがギシリと音を立てる。 いつもならその素晴らしい集中力と天性の頭脳でまるで神業の如く研究結果を纏めているだったが、今日ばかりは上手くいかない。 その理由といえば、一つ。 は苛々とその元凶に視線を向ける。 「ねえ恭弥、なんでわざわざボクの部屋にいるわけ?気が散って論文が纏まらないでしょ!」 「別に。どこにいようが僕の勝手でしょ」 恭弥にこういった議論を向けること自体ナンセンスなのは、もう何年も前から解ってはいる。 解ってはいるのだが、こうも纏わり付かれると流石のの集中力も発揮できない。 「寛ぐなら、居間か自室でやってよね」 そうは言ってみるものの、そんなことですごすごと退散するような兄であれば、そもそもこんなに苦労していない。 は軽く額を押さえると、諦めたようにパソコンの電源を落とした。 「こんな日まで、態々論文なんかしなくてもいいんじゃないの?」 恭弥は読んでいた本から視線を上げ、それを彼の愛しい弟に向ける。 今日は所謂クリスマス・イブ。 街へ繰り出せば、恐らくデート中のカップルや家族連れなどでごった返していることだろう。 「へー、恭弥がクリスチャンだったなんて初耳だ。でも少なくともボクはクリスチャンじゃないからクリスマスなんて関係ないね」 がそっけなくそう言うと、恭弥は溜息をつく。 「一緒に過ごす彼女もいないの?」 「それは恭弥もでしょ」 意に介さぬ様子で、は品のいいシルバーフレームの眼鏡を外す。 「じゃあ……」 「ま、でも彼女じゃないけど、クリスマス一緒に過ごす相手くらいいるけどね」 不意に、恭弥の台詞を遮るようにして、の口から思っても見なかったような言葉が漏れる。 恭弥は僅かに逡巡したように口を噤んだ。 予想外。 そんな言葉が一番当てはまるだろうか。 「ちょうどそろそろ準備しようと思ってたし、まあいいや」 そういうと、はまるで大輪の薔薇が咲き誇ったかのような挑戦的な笑みを恭弥に向ける。 「ちょっと……」 の周囲の人間に言わせれば、あれは悪魔の微笑である。 天使のような顔に有無を言わさぬ華やかな、それでいて圧倒的な強かさを潜ませた最強の笑顔だ。 勿論普段ならそんなものにひるむ筈も無い恭弥だったが、今日は話が違う。 「ねえ、どういうこと?」 恭弥は動揺を悟られないように、極力無表情のままにそう質す。 「だから、デート」 恭弥の言葉をまるで日常会話のように聞き流すと、はクローゼットから予め選び出されていたと思しきスーツを引き出す。 部屋と同じシンプルでスマートな、趣味のいいダークスーツ。 それに絶妙な光沢のワインレッドのシャツを合わせて選ぶと、来ているシャツを脱ぎ捨て真新しいソレに袖を通した。 「……誰」 「跡部」 言いながら、はそのシャツに品のいいネクタイを締める。 跡部……恭弥はそのの言葉を心の中で反芻する。 跡部といえば、の中学時代の先輩で当時からしつこくに言い寄っていた――と、少なくとも恭弥はそう思っていた――男だったはずだ。 しかも、跡部は金持ちで美形・頭脳明晰・スポーツ万能だが、軽薄で嫌な奴という周囲からの認識――主に彼に敵わない男達の主観だが――は否めない。 しかし、にとって跡部は『うっとうしい奴』程度の認識しかなかったと恭弥は思っていた。 「……なに怒ってるんだよ、恭弥」 にそう言われ、恭弥は内心で舌打ちをする。 ポーカーフェイスをしていたつもりが、知らず知らずのうちに恭弥は眉根を寄せ複雑な表情をしていたようだ。 「別に、怒ってなんかいない」 「あ、もしかして拗ねてるの?」 ワザとらしく、そう言っては楽しそうに兄の顔を覗き込む。 「何で、僕が拗ねなくちゃいけないの」 「だって恭弥、絶対ボクが今年も『シングルベル』だと思って安心してたでしょ。シングルベルは自分一人じゃないってさ」 そう言って嬉しそうに笑うを見て、恭弥は思わず「ああ、そっち」と心の中で呟いた。 「別に、恋人ってわけじゃないんでしょ」 僅かに落ち着きを取り戻しながら、恭弥はそう質す。 「跡部が恋人?!ちょ……ボクそこまで趣味悪くない」 跡部にすれば酷い言われようだが、はそう言って心外そうに眉を顰めた。 「父さんの代理だよ。本当は父さんが跡部の父親の会社のパーティに誘われてたんだけど、どうしても外せない仕事の先約があってさ。で、同窓生だし、勿論恭弥は行くわけ無いし、ボクに白羽の矢が立ったわけ。面倒だけど。」 そう言うとは手際よくコートを羽織り、プレゼントらしき包みを抱えた。 「ふぅん。そういうことなら許してあげるよ」 「許すも許さないもないでしょ。ビジネスなんだから」 は溜息と共にそういうと、さっと手ぐしで髪を整える。 「まあ、それならその跡部の家に送るくらいはしてあげるよ」 雲雀の言葉には思わず眉を顰める。 「送るって……まさか哲とかリーゼント軍団を寄越すわけじゃないよね?」 「まさか。ビジネスなんでしょ?僕が送る」 あまりに唐突で不釣合いな恭弥の言葉に、は拍子抜けしたように表情を止めた。 「ちょっと、なんて顔してるの」 「いや、恭弥が人の為に働くなんて、と」 「……噛み殺されたいの?」 「いや、今日は遠慮するよ」 街路樹やショーウインドウが電飾で煌びやかに飾りつけられて、まさにお祭りムードも最高潮に達しているかのような盛り上がりを見せている。 人も車もいったいどこから出てきたのかと思えるほど行き交い、道路はちょっとした渋滞が起こっていた。 「………」 一向に進まない車に、は苛々と腕時計に視線をよこす。 「そんなに苛々しなくても、ちゃんと着くよ」 恭弥が平然とハンドルを握りながらそう言うが、車はいっこうに進まない。 「なんでこんな繁華街通る道を選んだの。もっと裏道あったでしょ?だいたい、群れてるの見るの、嫌いな癖に」 は溜息ながらにそう呟くと、諦めたようにドアに頬杖をついた。 そのままぼんやりと、視線を街路樹に移す。 ガラス越しにでもチカチカと光るイルミネーションは幻想的で綺麗だ。 「別に」 恭弥の言葉に、は一言「そう」とだけ返す。 好意的に考えてみれば、こんな機会でもなければクリスマスのイルミネーションをゆっくり見ることなど無かっただろうと思う。 ゆっくりとした速度で車が動く、ゆったりとした時間。 「こんな風に二人でいるの、何年ぶりかな」 不意にはポツリとそんな言葉を漏らす。 「……子供の頃以来じゃないの」 恭弥の穏やかな声が車内に響くと、は緩やかに視線を恭弥に向けた。 「確かに。何か変な感じ。……まあでも、嫌じゃない」 はそう言うと、視線を前へ向ける。 徐に、車の速度が上がった。 「抜けたよ、渋滞」 「うん」 イルミネーションが、光の筋に変わる。 なんとなく後ろ髪引かれる様な思いが胸をよぎったのは、イルミネーションが綺麗だったからか、思いの他二人の時間が心地よかったからか。 は軽く頭を振った。 「……着いたよ」 そう言いながら、恭弥は滑らかにハンドルを切り豪奢な門を潜り抜ける。 スロープを登り切ると、門に負けず劣らず豪華な造りのアプローチがあり、大きくて重厚な扉の前には専門のドアマンが控えていた。 「ありがと」 は一言そういうとシートから降りる。 「遅くならないでよ」 「はいはい。顔見せたらすぐ帰る」 「じゃ、帰る前に連絡しなよ。迎えに来るから」 恭弥の言葉に僅かにためらった後、今日のは素直に頷いた。 「わかった。そうする」 そう言って踵を返したの後姿を暫く見送ると、恭弥はパーキングブレーキを解除して車を発進させようとする。 と、不意に恭弥の視界に今までが座っていたシートに置かれた、黒い小さなケースが飛び込んだ。 ――忘れ物? しかし、出掛けにパーティ用だとが持っていた荷物は、先ほどのドアマンが全て持っていっていたはずだ。 恭弥は再びパーキングブレーキを踏み、そのケースを手に取った。 クリスマスカラーの品の良いリボンにはメッセージカードが挟みこまれている。 恭弥は僅かに逡巡した後、そのメッセージカードを引き抜いた。 そこには、ただ一言。 ――『恭弥へ 』 思わず、メッセージカードを持つ恭弥の指先が止まる。 「……ワオ」 その後にじんわり沸き起こったのは、無上の喜びと優越感。 恭弥はその唇を薄く持ち上げると、上品に飾られたラッピングを取り除く。 上物のケースを開けると、中から現れたのは好みのシンプルで機能的だが品の良い銀の腕時計。 口にこそ出さないが、恭弥はの趣味の良さを認めていた。 しかし、それ以上に驚いたのは……。 恭弥は珍しくその顔を柔和に綻ばせると、小さく声を立てて笑った。 「……おい、お前ポケットに何入れてやがる?」 「は?」 同じ頃、挨拶もそこそこに跡部にそう問われ、は一瞬何の事か解らずに首をかしげた。 「ジャケットだ。形崩れるぞ」 そういうと跡部はシャンパンを持ったまま、指でのジャケットのポケットを指差した。 「……?」 がポケットに視線をやると、ふと跡部は一人で合点したかのようにその顔をにやつかせる。 「なるほどな。、それはオレへのクリスマスプレゼント……」 「なわけないでしょ」 跡部の一人合点を颯爽と否定し、はポケットから小さな箱を取り出した。 着替えたときには、こんなもの入っていなかった筈だ。 はいぶかしむ様にその箱を眺めると、挟み込まれていた小さなメッセージカードを取り出した。 ――『へ』 見慣れた、少々癖があるが綺麗な字。 「……恭弥?」 この字をが間違えるわけが無い。 はそのシックなリボンを解き、ケースを開く。 中から現れたのは……好みのシンプルで機能的だが品の良い銀の腕時計。 「ほう……悪くない趣味じゃねえか」 跡部の声も、には聞こえていない。 頭に浮かぶのは驚きだけ。 確かに、数日前のあの時、恭弥の前でこの時計をいい物だと呟いた。 だがそれは恭弥へのプレゼントに、という意味でだ。 勿論自身も一目でこの時計を気に入っていた。 しかし、今更ペアも無いだろうと思い、あえて自分の分は買わなかったのだ。 それが、まさかこんな形で自分の手元に来ることになるとは。 今頃は、恭弥も笑っていることだろう。 は自分の時計を外し、その時計を身につける。 「……おい。どこ行くんだ?」 「帰る」 「帰るって……まだ来て30分だぞ」 「問題ないでしょ。社長とは挨拶も済ませた。ついでに先輩と長話する気も無い」 そう言うと、はくるりと踵を返した。 足早にごった返すパーティ会場をかけ抜け、クロークからコートを受け取る。 『……もしもし、恭弥?もう帰る』 『そう言うと思ったよ。外で待ってる』 サンタクロースからのプレゼントは、おそろいの時計と、少しだけ縮まった二人の距離。 |
次回予告:最終回 W.SilentNight XANXUS |
ウインドウを閉じてお戻りください。