La Traviata 〜椿姫〜



第2話 燃える心を

「ほんっといい天気だね!遊園地日和だよ!」
遊園地のゲートをくぐったとたん、和樹が満面の笑顔で振り返った。
彼の後ろに続き、柚木、香穂子、がゲートを通る。
「さすが晴れ男の君、昨日の雨雲はどこへやら、だね」
にこにこと柚木は最後尾のを見やった。
「まるでそれしか能がないみたいに言わないでくださいよ、柚木先輩」
はため息混じりにそう答える。
「ふふ、そんなつもりじゃないよ」
微笑んだ柚木にが何か口を開けたとたん、和樹が元気な声を上げた。
「ねえねえ、まずどこいこっか!」
「うーん、僕はあまりこういう場所の事をしらないから、まずは火原と君がコースを決めてくれ
ないかな?」
「じゃ、勿論最初は……ここ!!」


ことの起こりは3日前。
「は?遊園地?」
「そう、遊園地。お願い!」
昼休み、突如としてが予約していた練習室に香穂子が飛び込んできて、開口一番「遊園地にいこ
う」といった。
普通科棟から音楽科棟のここまで走ってきたと見えて息が切れている。
「……なんでおれが日野と遊園地なんかいかにゃいかんのだ。柚木先輩と行けよ、彼氏なんだろ?」 
がそういって練習室の扉を閉めようとすると、香穂子も負けじとドアに食らい付いた。
「勿論柚木先輩も誘うんだけど、チケットが4名分の入場券なの。で、折角だから柚木先輩が火原先輩
君を誘おうって」
「……」
「遊園地なんていったことが無いから、二人きりだとちゃんとエスコートできるか不安だって言うの…
…火原先輩ならこういうところ慣れてるだろうし喜ぶだろうって」
「……」
「お願い……!」
男として、も女の子からここまで頭を下げられたらそうそう無碍に断る事は出来ない。
香穂子も柚木と仲良くなりたいと必死なのだ。
好きな人を追いかける気持ちはも多少なら理解できる。
「……火原先輩はOKっていってるの?」
の言葉に香穂子の頬が喜びにぱっと染まる。
「うん、来てくれるって」
「わかったよ。一回だけだぞ。次はのらないからな」
はため息をつくと、渋々了承する。
「ほんと!ありがとう君!」
日曜8時に駅前でね!と言い残し、香穂子は軽くステップを踏む勢いで練習室を後にした。
そういったわけで話は冒頭に移るのである。


「あ〜楽しい!」
香穂子が心底楽しそうに真っ青な空の下、ベンチに腰掛けて伸びをした。
「そりゃ良かった」
4人がけのベンチの反対側の端に座っていたは、ぼんやり空を見上げて気のない返事を返した。
気のない返事でもの声は艶のある響きを含む。
君は楽しくない?」
「何が悲しくて人のデートに付き合わなくちゃいけないんだよ」
「デートって言うか……ほら、コンクール仲間の懇親会って思えば、ね?」
デートという言葉に改めて思い至った香穂子は少し頬を赤らめ、照れたように瞳を伏せてもごもごと話
を逸らした。
普通、女の子のこういう仕種は可愛いんだと思う。
純粋に恋に夢中で、幸せそうで、可愛い。
だが、なぜかは軽い苛立ちを覚えてしまう。
理由は明白――香穂子が和樹の気持ちに気が付いていないからだ。
仕方がないことだ、和樹は香穂子に自らの気持ちを告白することなく今に至っている。
それどころか、柚木と香穂子の恋について後押しすらしたのだ。
香穂子は純粋に和樹は自分たちの理解者だと思っている。
そのことについて彼女に非はないはずだ。
それはわかっているのに……苛立ちを隠せない。
「オレはメンバーじゃないけどね」
「でも、火原先輩の伴奏してたでしょ?」
「……」
「はいっおまちどうさま〜!」
沈黙を壊すかのように和樹の声が振ってきた。
「あっおかえりなさい、先輩」
香穂子が嬉しそうに柚木を振り返る。
「おまたせ、はい日野さんの分。クレープはおまけ」
「はい、。今日はおれの驕りだよ〜」
和樹はそういうと笑顔で炭酸をに差し出す。
「へぇ〜気前いいじゃん、和樹先輩」
「たまには先輩らしいことしとかないとね」
「たまにはね」
「うわ、酷いよ〜」
二人の掛け合いを香穂子は笑顔で見つめていると、ふと思い立ったかのように目の前の観覧車を指差し
た。
「あれ、次あれ乗りません?」


「まあ、男二人で観覧車っていうのもね……」
「あはは、まあね〜」
結局観覧車には柚木と香穂子の二人が乗り、和樹とはそのままベンチで待つ事になった。
は小さく溜息をつくとすると、未だに激しく弾け続ける炭酸を口に含んだ。
シュワ、と沢山の泡の粒が口中にはじけ、派手な甘さが口いっぱいに広がる。
はふと、炭酸の泡に和樹のトランペットの演奏を思い浮かべた。
軽やかにはじけて広がる軽快な演奏、そんなイメージがぴったりだった。
「日野ちゃん、楽しんでくれてるといいなぁ」
観覧車を見つめながら、ぽつりと和樹がそう呟く。
風に乗って流れてしまいそうな小さな望み。
そんな純粋な和樹の願いに、の胸はチクリと痛む。
「どんだけお人好しだよ、先輩は」
ぶっきらぼうにそう言う。
「へへ、褒めてる?」
「ん、褒めてる」
は吐息のように笑うと観覧車を見上げた。
和樹も釣られるように観覧車を見上げる。
「日野ちゃんたち、そろそろ頂上かなぁ……」
「かもな……――っ!」
何気なしに答えたの視線が一つのシルエットに釘付けになった。
観覧車のゴンドラの中で、柚木と香穂子の影が一つに重なっている。
カラン
「先ぱ――」
「あっごめ……ジュース滑らせちゃって……かかってない?」
取り繕うように苦笑して謝った和樹の指先がわずかに震えている。
「先輩……」
気まずい沈黙。
ゆっくりと転がり地面に横たわった缶から、鮮やかなオレンジ色の液体があふれ出て一筋の流れを作っ
ていった。
「あ、あのさっ……柚木達もそろそろここに慣れただろうし……おれ、そろそろ帰ろうかなっ」
和樹はそういうと、髪をワシワシとかいた。
「柚木たちには後から電話で謝っとくからさ……ごめん、またね!」
「ちょ、先輩……!」
「ほんと、ごめん」
走り去る和樹の背中を、は唯呆然と見送る事しか出来なかった。
その心に小さく渦巻いていたのは燃える心。
静かに降り出した雨に打たれながら、その炎は僅かに勢いを増していた。
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