BLACK 〜DISTANCE〜

石畳に不規則な数人の足音が響く。
否、不規則にしている人物はその中の一人だけであろう。
シリウスは久々に破られる静寂に、チラリと瞳を開いた。
相変わらず彼の生活は冷たい独房の石畳の壁に向かい合って静かに瞑想をする事に費やされていたが、それでも彼の五感は周りの観察を常に怠る事は無い。
シリウスはさり気無い動作で肩越しにその人物たちを視界に入れると、神経を研ぎ澄ませて耳を欹てた。
視界には足音を乱しているその男が何事かをうめきながら、両サイドの人物に引きずられるようにして歩いているのが窺える。
「う……うぅ……」
その人物は引きずられる度に、何事かうわ言のように言葉を搾り出している。
彼を引きずっていた一人が、まるで汚い物でも見るような目で男を見下ろした。
「うう、じゃ無い。自業自得だ。殺されなかっただけでもありがたいと思え」
そう言ってその男を一喝すると、大儀そうにフンと鼻を鳴らす。
そんな同僚の言葉に、もう一人――先ほどの男よりは幾分歳の若い男だ――が同意するように頷いた。
「全くだ……。数多くいるオーラーの中で彼に当ったのは飛び切り運がいい。彼は出来る限り生け捕りをする事で有名だからな。いや、お前たちデス・イーターにとっては運のつきなのかも知れんな。なんせ、残りの人生総てをこのアズカバンで過ごさなくてはならないのだから」
そう言いながら、彼は今にも座り込みそうな彼……このアズカバンに送られてきた新たな囚人の腰を軽く蹴り上げる。
囚人はうう、と再び小さくうめいてのろのろと歩を進めた。
「しかし、彼は本当に凄腕のオーラーだな。彼がこの任務についてから、このアズカバンに送られてくる囚人の数は増える一方だ。出世も一足飛びだし……たったの数年であっという間に部下を従えて個人任務をこなすまでになっている」
「そうだな。そのお蔭で俺達は休み無しさ。城壁を護るのはこの薄気味悪いディメンダーどもだが、それ以外の仕事は俺たち下級役人の仕事ときてる。いっその事、こんなクズどもなんざその場で首を跳ねちまえばいいのに」
そういうと、年配の監守は再び座り込みそうになる囚人の腕を乱暴に引き上げる。
囚人はうつろな目で弱々しく声を漏らすと、再びヨロヨロ歩き始めた。
「だが、それじゃあ有力な情報も得られないだろう」
「こいつらの言う事に真実味なんかあるか?自分が助かる為なら平気で嘘でも何でもでっち上げるだろう?」
「それに関しちゃ、お偉いオーラーには特別に『自白薬』だのなんだのと使う事が出来るからな。それに……」
「それに?」
そう言って言葉を濁した同僚に痺れを切らし、若い監守は促すように言葉を続けた。
年配の監守は一瞬迷ったように口を開いたり閉じたりしたが、それでも周りを振り返り誰もいないことを確認すると、ポツリポツリと言葉を繋げた。
「こりゃ前にファッジ魔法省大臣が仰ってた事を偶々聞いてしまったんだが……その、オーラーの中にはな、自分の意のままに相手の心を読む輩がいるって話だ」
「服従の呪文か?」
「いや、それとは別にだ。勿論高位のオーラーになれば禁じられた呪文の一部を使う事が許された者もいるというが……まぁそれとはまた別の話さ」
「……その、高位のオーラーってのは……やっぱり、『アレ』の事なんだろうな……」
同僚の言葉に、若い監守が思わず身震いをしながらそう呟く。
「恐らく……死神(デス)のこと……だろうな。俺も……実際の彼らを見た事が無いが……」
「当然だ。もし彼らを見ていたら……俺達は今こんな所でのんきに仕事などしていないさ。とっくに天国に送られてる」
「違いない」
その後一頻り乾いた笑いが壁に反響すると、彼らの靴音がぴたりと止まった。
同時に彼らを追っていたシリウスの視線も止まる。
「そら、ここがお前の房だ。お前はまだ利用価値があるとかで、暫くは独房が与えられる。……お前たちを見張るのは知っての通りディメンダーだ。脱獄なんていうことを考えずにおとなしくしていろ。おとなしくしてりゃ、死ぬより辛い目にあうことは無いさ。……まぁ、お前を捕らえた・スネイプに感謝する事だな」
――・スネイプ……。
僅かにシリウスの眉根が寄せられる。
がオーラーになったという情報を伝え聞いて、既に数年が過ぎた。
何度聞いてもその情報にシリウスの胸は痛む。
しかし、今の自分には彼に伝えられる事が何も無い。
二度とここへ来るなと彼に言ったのは自分だ。
シリウスは視線を床に落とし、きつく唇を噛んだ。
ガチャリ、バタンと鉄格子の閉まる音が響き、二人の靴音が今度は規則的に響きだすと、予想外にもその足音はエントランスへ向かわずシリウスの房へと近づいてくる。
先ほどの房からこちらに向かうまでには、空の房が2つあるだけだ。
その他には自分の房しかない。
シリウスは一瞬深く眉根を寄せると、警戒を強めて彼らが近づくのを待った。
「あー……シリウス・ブラック?」
監守の若い方が徐にシリウスの独房の鉄格子の前で彼の名を呼ぶと、シリウスは無言で首だけを振り返らせた。
「ミスター・ファッジからの差し入れだ。受け取れ」
そう言って鉄格子の間にパサリと羊皮紙のような物が投げ入れられる。
羊皮紙がちゃんと独房に投げ入れられた事を確認すると、監守は面倒くさそうに肩を竦め年配の監守に目配せをした。
「届けたからな。さぁ、こんな所に長居は無用だ。胸が悪くなっちまうよ」
そういうと、今度こそ二人は連れ立って房を離れていく。
シリウスは彼らが角を曲がり視界から消えるのを確認すると、待ちきれなかったとばかりに羊皮紙に手を伸ばした。
予想通り、それは前回ファッジが視察に来た際に自分が依頼した『日刊予言者新聞』だった。
シリウスはページをパラパラとめくり、とある写真に視線を止めた。
そこには時折瞬きをしながら微かに微笑を浮かべる、黒髪で吸い込まれそうな空の色の瞳をした理知的な美青年が写っていた。
――今月のインタヴュー『最年少で個人任務をこなす ・スネイプ氏』
「…………」
シリウスはひっそりと囁くようにその名を呟くと、愛おしそうにその写真に写るの頬を指で撫でた。
二、三度彼の指がの顔を往復し、その視線が彼の記事へと移行した。

――魔法法執行部に入ったわけは?
『一刻も早く闇を払拭して、人々が安全に、幸せに暮らせる日が来るように願っているからです』
――仕事で、一番辛い事は?
『同じ魔法使いと時には応戦し、傷つけてしまわなくてはならない時です』
――一番幸せを感じる時は?
『……学生時代の思い出を思い出している時です』

そこまで読んで、シリウスは紙面から目を離した。
考えてはいけない、これ以上。
シリウスは未練の残るページを半ば無理矢理パタリと閉じると、第1面に視線を移した。
そこには、『ウィーズリー一家』という大家族が懸賞に当って、エジプトを旅行している……という記事が大々的に見出しとして載っていた。
シリウスは自分の考えを振り切るように、視線を幸せそうな家族の写真に移す。
人の良さそうな夫婦に仲の良さそうな子供たち……。
彼らの全てが燃えるような赤毛をしている。
シリウスは何気なく彼ら一人一人の顔を眺めていった。
「……ッ!」
瞬間、青い電流のような痺れがシリウスの背筋を流れた。
彼らの一人の肩に乗っている鼠……彼こそは、シリウスの12年間探し続けた相手、ピーター・ペティグリュー……ワームテールのアニメ―ガスに相違ない。
ゾクリ、とシリウスの体内に冷たい炎が燃え上がった。
忘れはしない、この姿を……。
シリウスはしっかりと羊皮紙を握り締め、静かにその双眸を閉じた。
――今こそ……行動する時が来た。

再び彼の瞳が開いた時、その表情には一分の迷いも無かった。
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