BLACK 〜JUSTICE〜

「……は?今、何と?」
重厚で品の良い家具を設えた執務室に、の声が震えたように響いた。
緊張の為か、頬は僅かに紅潮している。
「だから、シリウス・ブラックがホグワーツに向かったのだ」
の問いにちぐはぐな答えを返すと、ファッジはその薄くなりかけた額をせわしなく撫で付けた。
よく磨かれたテーブルに豪奢なシャンデリアと困惑した様なファッジの顔が映る。
はたった今ファッジの言った言葉を反芻するかのように、そのテーブルに映ったシャンデリアの影を見つめながら口の中で先ほどの言葉を呟いた。
「ブラックは……あのデス・イーターは、憎しむべきハリー・ポッターを見つけてしまった。これでは、今まで何のために彼をマグルの世界で育てたのかわからなくなってしまうではないか……」
そう言ってファッジは所在無さ気に何度も視線を部屋中に行ったり来たりさせる。
はそんなファッジを何の感情もない瞳で見つめると、唯口をつぐんでいた。
「なぜ、奴は……ハリーの居場所を突き止めた?どうやってアズカバンを抜け出した?……ああ、どうしたらハリーを護ってやれる?今は彼は何も役に立たないマグルの世界に一人放り出されていると言うのに……」
ファッジはそこまでまくし立てると、その短い指で乱暴に自分の頭を抱えた。
「ああ……一体どうしたら……」
「……今しなくてはならない事は……嘆く事、疑問に打ちひしがれる事ではありませんよ。ハリーを一刻も早く我々の力の及ぶ範囲まで誘導し、保護する事が必要でしょう。少なくとも、ホグワーツに戻る日まで」
の言葉に、ファッジは飛び上がる程の勢いで顔を上げた。
「ホグワーツ!」
明らかにファッジの顔色が蒼白に変わった。
はいぶかしむ様に口を開く。
「ミスター・ファッジ?」
「アイツは……ブラックは……アズカバンでもうわ言のように『あいつはホグワーツにいる』と繰り返していたそうだ……!」
そう言ってファッジは再び額の汗を拭うと、困惑したように嘆息してを見上げた。
は出来る限りイラつく気持ちを抑え、感情を押し殺したような声で同意の言葉を発する。
「だから、我々は決めたのだ。……シリウス・ブラックが捕らえられるまでの間、ホグワーツにディメンダーを配置することを!」
「なんですって!?ホグワーツにディメンダーを?!」
出来うる限り感情を保っていたが、はその言葉に思わず声を荒げた。
ファッジはその剣幕に押されるように、それでも僅かに自分の正当性を主張するかのように口を開く。
「し、仕方がないだろう!それしか奴を捕らえ、かつハリーを護る方法がないのだよ!」
「ミスター・ダンブルドアがそんな事を許す筈がない」
「勿論、反対したよ。それしかハリーを護る手段は無いというのに」
そう言いながら、ファッジは革張りの椅子の背に体重を預けた。
「では……」
「だから、我々は妥協案を出した。一つはホグワーツの領内にはディメンダーを決して侵入させないこと。もう一つはディメンダーを制御出切る者を監視につけることだ」
「………」
「ディメンダーは元来闇の属性の者だ。それを制御する為には熟練した対闇魔術の技術と経験をもっている必要がある。唯のオーラーではない、高位のオーラーでなければ彼らは制御できまい」
「つまり……私にホグワーツへ行けという事ですね?」
そう言うと、はその長い睫毛を僅かに伏せた。
それが、ファッジが自分を呼んだ理由なのだろう。
「そうだ。君なら技術的にも能力的にも問題はない。何よりアルバスの多大なる信頼を受けている。君より適任はおらんよ」
「……それが任務なら、私はそれに従います」
「そうか!そう言ってくれると思っていたよ!」
そう言って、ファッジは今日初めての笑顔を見せた。
「ただし……この件に関して、全ての指揮を私に一任してくださると言うなら、ですが」
の言葉に、ファッジは僅かに面食らったかのように目を見開いたが、すぐにその顔にも笑顔が戻る。
「構わんよ。私は君のことを全面的に信頼しておる」
そう言ってファッジは革張りのソファーから腰を上げ、の肩に自分の手を乗せた。
「さて、それでは私はアルバスにこの事を知らせねば……。君は早速任務に取り掛かってくれ」
は、ファッジの言葉に無言で頷いた。



ホグワーツ特急に乗り込みながら、は深い溜息を2度ほど吐いた。
チェリーレッドに塗装された列車は艶やかな光を反射させ、ぴったりと閉まった窓もピカピカに磨かれている。
それらの全てが10年前……が最後にこの列車に乗った時から何も変わらない。
まるでタイムスリップしたようだ、とは妙にマグルじみた感想を覚えた。
もう間もなくすれば、この列車も生徒たちで溢れ返る事になるだろう。
はその唇をきっちりと引き結び、その長い睫毛を伏せて軽く目を閉じるとゆったりとその長い足を組んだ。
――ガラリ……バタン
コンパートメントのドアが開く音がし、は僅かに片目を開けた。
無意識のうちに右手はジャケットの下のロットを握り締める。
――馬鹿げた習慣だ……。
恐らく生徒が空いたコンパートメントを探してやってきたのだろう。
は嘆息すると、それでも用心の為かロッドからは手を離さずに段々と近づく靴音に神経を尖らせる。
の視界が陰り、彼は自然な仕草でその影の主を素早く目で追った。
「……おや?」
以外にも、近づいてきた人物はの姿を視界に入れると一瞬迷ったように立ち止まり、驚いたように目を見開いた。
「君は……かい?」
「……リーマス?リーマス・ルーピン?」
はロッドを持つ手を緩め、気が抜けたようにリーマスを見上げた。
リーマスはの言葉に嬉しそうに頷きながら近づくと、懐かしむようにその口元を緩める。
変わらないその柔らかな笑顔に、は胸が苦しくなるような想いがして、思わずその端正な唇を噛み締めた。
「驚いた!やっぱり君なんだね……!会えて嬉しいよ」
そう言うとリーマスはの頬に手を伸ばしハグをしかけるが、思いなおしたようにその手を止めた。
「……リーマス?」
「あぁ……いや、ほら、私のローブはこんなだから……。君のローブが汚れてしまうと思ってね」
そう言ってリーマスは少し恥じ入った様子で自分のローブの裾を摘んだ。
はあらためてリーマスのつぎの当てられたローブを見ると、一瞬その形のよい眉根を不快そうに歪める。
リーマスはそんなの顔を見て、慌てたように付け加えた。
「ああ、その……洗濯はしているんだけどね」
そんなリーマスの様子を見て、は更に眉根をきつく寄せると、嘆息と共にリーマスの瞳をしっかりと見つめた。
「俺が不快なのは……そんな事の為じゃない。リーマスが……あんなつまらない理由で未だに迫害を受けている事と、そんな事で俺に気を使う貴方に対して腹を立てたんだ」
そう言っては強引にリーマスの首に腕を回すと、その頬に自分の頬を触れさせる。
「俺がリーマスにそんなに小さな人間だと思われたのは、心外だな」
「……ごめん」
そう言って、リーマスは照れたようにの背に手を回した。
その声は僅かに震えている。
「君はいつも……僕の欲しい言葉をくれるね」
「それはリーマスが欲が無さ過ぎるからだよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
そう言ってリーマスの肩から手を離すと、は悪戯っぽい瞳で笑った。
つられてリーマスもにっこりと笑顔を浮かべる。
「君も……ホグワーツの教員に呼ばれたのかい?もしそうなら、僕も嬉しいのだけれど」
そう言って、リーマスはと共にコンパートメントに腰掛けると、変わらない柔らかな口調で問い掛ける。
はその問いに肩を竦めた。
「ホグワーツの教師か……悪くないね。でも、残念ながら違うんだ」
「そうか……。オーラーは確かに優秀な君ならではの仕事だけど、とても危険な仕事だから、できれば転職してくれたら……と思っていたのだけれどね」
そう言ってリーマスは柔らかく微笑んだ。
「……心配、かけてるんだね」
は少しだけ済まなさそうに答えると、リーマスは困ったように笑っての額を小突いた。
「友達なんだから、当たり前だろう?……でも、それは君を縛ると言う意味ではないよ。君が本当に成したい何かがあるのなら、僕にはそれを止める権利も力も無い。でも、覚えていて、君の事を心配している人間は沢山いるよ。勿論、僕もその一人さ」
「……ありがとう」
はそう言うと、照れたように瞳を伏せた。
「ふむ……考えてみれば、もし君が教師になると言うのなら僕が呼ばれる必要はないね。僕が君より『闇の魔術に対する防衛術』に優れているとは到底思えないから。そんな簡単な事にも気がつかないとは、いやはや」
「そんな事無いよ。ただ技術を知っていればいい教師であるとは言えないだろう。だいたい俺は人に何かを教えられるタイプじゃないし、教師にはリーマスが最も向いてる。貴方なら、いい教師になれるよ」
の言葉に、リーマスはその人好きする笑顔を急にしぼませた。
「でも……そうだとしたら、君はオーラーとしての仕事でホグワーツへ?」
「……そう、なるね」
はリーマスの問いに言葉を濁すと僅かに眉を顰めた。
「どんな仕事だい?」
「……いずれ解るよ」
そこまで言うと、はその深い海の色の瞳をガラス越しに空へと向けた。
「……そうか。うん、無理には聞かないよ。――さて、君少し疲れた顔をしているように見えるけど、昨日も殆ど眠っていないのじゃないかい?ホグワーツまではかなりの時間があるから……来るべき仕事に備え、ゆっくり睡眠でも取るとしようか。かく言う僕も眠いんだ……実は昨夜嬉しくて眠れなくてね」
そう言って、リーマスはその顔に笑顔を戻しながら自分のローブを肩まで引き上げる。
「君も僕も向かう所が同じなら……積もる話は是非なつかしのホグワーツで、ね」
「はは、違いないね」
視線をコンパートメントまで戻し、は小さく笑うと自分も瞳を閉じた。
ざわざわと遠くから聞こえる人々の喋り声が、ホグワーツ特急の出発が近いことを表している。
そんなざわめきを耳に、二人はトロトロと浅い眠りの世界へと落ちていった。
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