BLACK 〜WAY〜

「……リーマス……リーマス!」
リーマスは小さく肩を揺すられて、ふとまどろみから現実世界へと引き戻された。
「ん……?え?何……?」
そう言ってリーマスは小さく伸びをすると、寝ぼけた頭から眠気を追い払うように軽く頭を振る。
「もうホグワーツに……」
「シッ!」
リーマスの言葉を短く遮ると、は声を顰めて視線を前のコンパートメントにやった。
「……何か、トラブルでも?」
状態を察したリーマスは素早く身を起こすと、緊張したような声音でを見やる。
「ああ……どうやら、招かざる客が来たらしい」
そう言って、は素早く自分のロッドを取り出した。
「招かざる客?」
リーマスは一瞬不可解そうな瞳で考えをめぐらせる。
「……ディメンダーだ……。貴方が赴任する時に、話は聞いているだろう」
瞬間的に、リーマスは顔を歪ませる。
「そんな……彼らは生徒との接触を禁じられているはずだ!こんな所に現れるなど、不可侵条約の放棄以外の何者でもない!」
「……そうだよ。だが、彼らには理性なんていうものは皆無に近い。本能に忠実に生きている闇の人形だからね。だから、ダンブルドア校長は彼らを招く事を拒んでいた」
そういうと、は苦々しげに隣のコンパートメントに移るためのドアをにらみつけた。
「……まずいな、向こうでトラブルが起きている」
は舌打ちをして、腰を上げた。
「わたしも手伝おう」
そう言ってリーマスは自分のロッドを手に立ち上がりかける。
「いや……貴方はここにいてくれ」
そう言うと、はコンパートメントの後ろを視線で指し示す。
「俺が前のコンパートメントで彼らを追い払うつもりだけど、奴らのうちの誰かがこのコンパートメントにこないとも限らない。それに……」
そこまで言うと、暫く口をつぐみは僅かに視線を彼らの乗るコンパートメントの後ろへやった。
「それに?」
「このコンパートメントには……彼がいる。ハリーだ。ハリー・ポッター」
の言葉に、リーマスは目を見開く。
「……ハリーが?それは……本当かい?」
リーマスの言葉には僅かに頷くと、すぐに視線を前の車両に移した。
「ああ。彼は……人一倍闇の魔力に対して敏感だ。あんな事があったのだから……当然の事だ。だから、もしディメンダーが彼に近づくような事があった場合、貴方が彼を護ってあげて欲しいんだ」
そういって、は真剣な瞳をリーマスに向けた。
「……解ったよ」
暫くの後、リーマスはそう言って頷くと、再び椅子に腰を下ろす。
「それじゃあ……気をつけて、
リーマスの言葉に、は少し笑顔を漏らした。
「久しぶりだよ……そんな言葉を聞いたの」
そう言って、肩を竦める。
「皆……俺が任務に失敗する事なんて少しも考えてはいないらしい」

「う、うわーっ!」
の耳に、少年らしき悲鳴が飛び込んでくる。
「……っち!」
はコンパートメントを走る足を速め、パニックに陥る生徒たちの間を縫うように走った。
「な、なんなんだ、お前はっ!」
怯えたような少年の声色に、の悪い予感は的中した。
ディメンダーが一人、コンパートメントの床に尻餅を着いた少年の前に立ちはだかり、見下ろしている。
「や、止めろ!」
少年が一歩後退ると、ディメンダーも一歩進み出る。
は再び舌打ちをすると、その光景を遠巻きに見つめる生徒たちの間からディメンダーを低く牽制した。
「……やめろ!」
瞬間、ディメンダーと少年の瞳がいっせいにを見た。
「……た、助けて!」
少年は怯えたような瞳をに向けると、は軽く頷いて少年の前へと足早に駆け寄った。
「彼から離れろ」
は静かにディメンダーに命じるが、ディメンダーはただそこに佇んでいる。
そのうつろな瞳は恨みがましくを見つめると、ふわふわと定まらないような妙な声をあげた。
「……駄目だ、離れろ。私の命令が聞けないのか?」
再び、不快な不協和音のような妙に耳に響く声がコンパートメントに響く。
は不愉快そうに眉を吊り上げると、再び低い声で牽制を繰り返した。
「離れろといっている。ここにお前たちの探す者は居ない。それでも離れないのであれば……私はお前を消す」
の妙に澄んだ低い声が、コンパートメント中に静かに響いた。
「け、消してしまえばいいんだ!そんな奴!」
やっと僅かばかりの勇気を取り戻したらしい少年が、傲慢に言い放つ。
と、ディメンダーの暗い瞳がその少年を捉え、箍が外れたようにその黒いローブに覆い隠されて不気味な手を伸ばした。
「わ、うわ……っ!」
少年は再び怯えたように叫び声をあげると、這い蹲るように逃げ出そうとする。
は素早くロッドをディメンダーに向け、呪文を紡いだ。
「……インペリオ!」
その瞬間ビクリとディメンダーの身体が硬直し、そのまままるで時が止まってしまったかのように右腕を突き出したまま立ちすくんだ。
「Serpenre」
そのままが静かに呪文のような不思議な言葉を紡ぐと、ディメンダーの身体がピクリと強張ったように見える。
「Ashne Serpere ! Dante Dante Dante !!」
の言葉と共に、ディメンダーの身体が奇妙に揺れた。
コンパートメント内に、金属の軋む様な、不愉快な音が響き渡る。
生徒達は思わず自分の耳を塞いだ。
一瞬膨れ上がるように化の物のローブが揺れ動き、次の瞬間ディメンダーの身体はさらさらと灰のように崩れ落ちてゆく。
ディメンダーは恐怖に駆られたように、声にならない叫び声をあげてその姿を無くした。
コンパートメント内は奇妙な静寂に包まれている。
は一つ溜息をつくと、低く響くような声で再び残りのディメンダーを牽制するように凄む。
「……これで私の正体が解っただろう。解ったのならこの列車から去れ!」
の言葉の後、不意に列車内に漂っていた不穏な空気が消え、生徒たちの顔にも安堵の色が戻る。
「……大丈夫か?」
はそういって腰を抜かしている少年――ドラコ・マルフォイに手を差し伸べた。
「あ……ええ、まぁ」
少年はあっけにとられていた顔を取り繕うかのように気取って答える。
「それにしても……見事な手際でしたね」
ドラコはそう言っての差し出された手を握り、立ち上がりながらそう付け加えた。
「いい気味だ!なんなら、他の奴らも殺してしまえば良かったのに!」
ドラコの言葉には苦笑を浮かべると、その黒髪を無造作にかきあげた。
スリザリンの生徒は、時が経とうとやはりこういった性格の人間が多いらしい……。
「……今のは、殺したんじゃないよ。存在そのものを魂ごと燃やしてしまったんだ」
「え……?」
「生あるものの消滅の中で、一番惨い方法さ。でも、彼は私の命令に背いて罪の無い物を襲おうとした。だから、わたしは彼を……消さざるをえなかった。」
そう言うと、はコンパートメント内の生徒全員を見回しながら、ゆっくりと念を押すように言葉を綴った。
「いいかい……今後は何があっても彼ら……ディメンダーを挑発するような行動を取ってはいけない」
「どうして?」
ドラコは不愉快そうな顔をしてに視線を寄越す。
「……彼らには普通の魔法は殆ど効果が無いからさ。だから、アズカバンの守人をしている」
「貴方は……今彼らを消し去ったじゃないか!どうやったんです?!」
期待したようなドラコの瞳に、は苦笑を返す。
「……君が将来オーラーになるつもりであるのなら、是非その研修の場でお教えしよう。でも今はまだ、それを知る時期ではないよ」
そう言っては肩を竦めて見せると、窓の外に視線を投げた。
「……さあ、おしゃべりはここまでだ。そろそろホグワーツに着くよ。早く用意をしたほうがいい。わたしの正体については……今日の夕食の時にでもわかるだろう」



「……本気なのか、
不意に背後からかけられた声に、は優雅に振り返る。
カツリ、とヒールのなる音が夜の廊下に木霊し、灯された蝋燭がふわりと揺らめいた。
「久々に会う弟への第一声がそれなの?兄さん」
そう言ったの表情は、仄かな光に照らされてぞっとするほど美しかった。
セブルスは僅かに眉を寄せると、いつものように無表情を貼り付けて再び口を開く。
「……茶化すな、。わたしに戯言は通用しない」
「そうだね……解っているよ。でも、俺にはセブルスの質問の意味が解らない」
の言葉にセブルスは呆れたように嘆息する。
「……付いて来い」
「うん」
二人は長い回廊を並んで歩いた。
所々に灯されたランプの明かりが二人の影を不安定にゆらゆらと揺らす。
はその光景に懐かしむかのようにその瞳を細めると、久々に見る兄の姿をゆっくりと眺めた。
昔はあれほどあった身長の差が、今では拳一つ分までに縮まっている。
は流れた時の膨大さを痛烈に感じ、その笑顔を沈ませた。
「……入れ」
そう言うと、セブルスは半地下になった執務室へとを招き入れる。
「……へぇ、ここがセブルスの執務室、か」
「そうだ……座れ」
セブルスは相変わらす無表情のままそう言い放つと、自分は隣室へと姿を消した。
は言われた通りに暗い色のソファーに腰を下ろす。
「それにしても……セブルスが教師か。改めて目の当たりにすると、変な感じだな」
「……それは皮肉か?」
の独り言に、ティーポットとカップを持ったセブルスが低い声を響かせた。
「いや……そんなつもりじゃないよ。昔から、セブルスは人に物を教えるのが上手かった」
「今度は世辞か」
「そんなつもりも無いよ。解っているだろう?」
「……解らん」
言いながら、セブルスは紅茶の入ったカップの一つをに差し出す。
「……ありがとう」
ティーカップから立ち上る甘い良い香りがの鼻孔をくすぐり、彼はそのあまりの懐かしさに眉根を寄せた。
煎れられたのは、の一番好きな甘いアプリコットティー。
砂糖はスプーン1杯。
少ない茶葉でじっくり蒸らした、癖の無い大好きな紅茶だ。
「……覚えていたんだ」
「忘れるはずが無いだろう」
セブルスはきっぱりとそう言うと、自らの紅茶に口をつけた。
「……セブルス、怒っているの?」
「何故だ」
「……笑わないから」
そう言って、は哀しげに瞳を伏せ、湯気の立つアプリコットティーに映った自分の顔を見つめた。
セブルスは溜息と共にティーカップをソーサーに戻すと、視線をへと向ける。
「わたしがお前の何に対して怒るというんだ」
「それは……俺が仕事の内容をセブルスに話さないから」
「違うな」
ポツリと漏らしたの言葉を、セブルスは即座に否定した。
「え?」
「わたしはそんなことでお前を責めはしない。無論、お前の仕事に対しては……全く寛容というわけではないが。だが、わたしが笑わないのはその事が原因なのではない」
「じゃあ、何?」
「……お前が、笑っていないからだ」
瞬間、は弾かれたように視線を上げた。
その顔には言いようの無い漠然とした不安がありありと表れている。
「なん……で?そんな事……。俺、さっき笑顔で挨拶したじゃないか」
「では、言葉を変えて言ってやろう。今のお前には、心から笑えることがあるか?本当に幸せだと感じる事が、お前にあるのか?」
の肩が、僅かに震えた。
「今のお前が……心からの笑いを取り戻さない限り、お前には他人がお前に向ける笑いに、真実の笑いなど見えないだろう。それは、皆がお前に真実の笑いを向けていないという事ではない。お前が……それらの全てを拒絶しているという事だ」
静かに、しかし語り聞かせるようにセブルスの声が執務室に響く。
「お前が……わたしの笑顔で本当の笑いを取り戻す事が出来るのであれば、わたしはいくらでもお前に微笑みかけよう。しかし、がそれを拒み続ける限り、わたしの笑顔はお前には届かないのだ」
そう言って、セブルスは静かにの前まで歩を進めると、その手を優しく握った。
……お前はわたしに負い目を感じている。そのことをわたしは知っている。だが……お前はそれを負い目に感じる事は無いのだ」
「セブルス……」
「よく聞くのだ、。お前は自由だ。わたしがそう言っても、それでお前の心の負担の総てが軽くなるわけではないだろう……口惜しい事だが、お前が心から求めている者は……。でも、それで……お前の心の総てとは言わずとも、少しでもその重荷を軽くしてやる事が出来るのなら、わたしはいくらでもお前の為に成そう」
「……ありがとう」
は、そう言ってセブルスの肩口へその額を預けた。
しっかりと背中に回された腕にセブルスは軽い苦笑を浮かべると、の背を優しくに叩いてやる。
今、自分が出来る事はこんな事くらいしか、無い。
何故なら、彼が求める者は……自分ではないのだから。
その瞳には言いようの無い悲しみに満ちていた。
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