WHITE 〜WAY〜 |
昼休みの大広間はいつものように、大勢の生徒たちで大いに賑わっていた。 色取り取りのサラダにチキン、ポーク、ビーフ、ポテト……。 成長期の生徒たちにかかれば、どんな量の食事もあっという間に彼らの胃の中に押し込まれていく。 今日は金曜日で、後半日の授業を乗り切れば彼らが待ちに待った休日だ。 生徒達は浮かれた気持ちを押さえる事も無く、楽しげに昼食を囲んでいた。 あちらこちらから、休日の過ごし方についての計画を練る声が漏れ聞こえる。 クィディッチの練習をする約束、図書室に新刊の本を探しに行こうと提案する声、新たな悪戯を開発するべく作戦会議を目論む少年たちの囁き声……そんな楽しげな声で、大広間は溢れかえっていた。 勿論グリフィンドールのテーブルとて、例外ではない。 ただ……そのテーブルの一角、シリウスの座るテーブルだけが、その騒ぎの中たった一人蚊帳の外だった。 普段なら率先してその騒ぎの中心に居るだろう人物が、ただ一人黙々と食事を続けている。 最初のうちこそグリフィンドールの寮生は心配げに彼を眺めていたが、暫くして自分たちの休日の予定の話になると段々とそれを気にする者は居なくなっていった。 「……ここ、いいかな?」 不意にシリウスの視界が陰り、彼は無言で声の主を振り返った。 シリウスは軽く頷付きながら手で自分の横を促すように示すと、フォークをテーブルに置いて口を開いた。 「ああ、早かったなリーマス。ピーターの宿題はできあがったのか?」 「うん、何とか間に合ったよ。今、教授の所に提出に行ってる。まぁ……昼食は抜く事になりそうだけどね」 そう言ってリーマスはロールパンの一つを手にとり、ちぎった塊を口の中に放り込んだ。 「出来上がっただけでも感謝しなくちゃな。何と言っても落第は免れたわけだから」 そう言ってシリウスはカボチャジュースを一口流し込む。 「それにしても酷いよ、皆。皆の方が僕なんかよりも成績がいいのに、彼の宿題を全部僕一人に押し付けて。こういうのは、君や、ジェームズやリリーの方がよっぽど効率よく出来たと思うのに」 そう言うと、リーマスはチキンの香草焼きを切り分ける手を止めて、シリウスを軽く睨んだ。 「いや……そんな事無いさ。ただ技術を知っていればいい教師であるとは言えないだろう。だいたい俺は人に何かを教えられるタイプじゃないし、教師にはリーマスが最も向いてる。君なら、いい教師になれるんじゃないか?」 「……はいはい。そんなこと言って誤魔化したって無駄だよ」 リーマスは呆れたようにそう言ってチキンを口にすると、これ見よがしに肩を竦めた。 「いや、本心からの言葉だぜ、今のは」 心外そうに言うシリウスを横目に、リーマスは黙々と食事を続ける。 「ところで、ジェームズとリリーは?」 「庭でランチだってよ。良くやるぜ、この寒い中」 シリウスはそう言って窓の外に視線をやると、呆れたように溜息をついた。 「……思い出を残してるんだよ、このホグワーツでの生活は、後1年を切ったからね……卒業したら今までのように毎日一緒に居るってわけには行かないから」 リーマスはそう言うと、ふっと懐かしむようにその瞳を細めた。 「思い出って言ったって……俺にはあいつらは卒業なんてもので簡単に離れるとは思えないけどな……」 「それは僕もそう思うけど、僕が言いたいのは……遣り残した事がないようにしてるんじゃないかって事だよ」 そういうと、リーマスはチキンの最後の一切れをフォークでさしてシリウスを見つめた。 「……遣り残した事、ねぇ……」 シリウスはガラスの器に盛られたフルーツの中からチェリーを一房摘むと、ひょいと口の中に放り込む。 「シリウスは?」 「ん?」 不意に、真剣なリーマスの声がシリウスの耳に飛び込んできた。 「シリウスは、ないの?……遣り残した事」 「俺……?」 そう言って、シリウスはリーマスの瞳に視線を合わせる。 リーマスは痛いほどに真剣な瞳をシリウスに向けると、じっとその瞳を射る様に見つめた。 「なんだよ……?どうしたんだよ、リーマス?」 シリウスはリーマスのそんな瞳にうろたえたようにその表情に緊張を貼り付けると、辛うじて口だけは笑いながらリーマスに質す。 「……最近、彼が辛そうな表情をしている事を、君は知っている?」 リーマスの言葉に、シリウスのゴブレットを持つ指先が震えた。 「彼……?彼って、誰だよ?」 シリウスは努めて平静を装っておどけたようにそう言うと、リーマスはぴしゃりと彼の言葉を払いのける。 「とぼけないでくれないかな。……君は解っているはずだ」 そう言ったリーマスの顔は酷く落ち着いていて、それでいながら今まで見た事もないほど真剣な瞳をしていた。 「……?」 「そう……彼だよ」 リーマスは呟くようにそう言うと、僅かにその眉根を寄せた。 ガヤガヤというざわめきだけが、二人の静寂を埋めるように通り過ぎる。 しかし、そんな雑音は彼らの耳には入らない。 二人は無言で視線を逸らせ、ただ並んで座っていた。 「……知ってる」 ぽつり、と静寂を破るように、シリウスの口から独り言のような呟きが漏れた。 そうだ、シリウスは知っていた。 最近のが無理をして笑っている事を。 何かに怯えて、誰かに助けを求めていた事も。 ……そう、あの『日刊予言者新聞』の号外がばら撒かれた日から。 「じゃあ、何故……彼を支えてあげないの?」 「支える……?俺が?」 リーマスの言葉に、シリウスは悔しげに唇を噛んだ。 「俺に……何が出来るって言うんだ?」 「……シリウス?」 「俺と彼は……友達だ。でもな、友達って言うのは……何がしてやれる?」 「シリウス」 「は俺に何か望んでるのか?俺に何かできると思っているのか?友達なんていうのは……結局の所家族には勝てないだろう!違うのか?!」 シリウスは低い声でそう吼えると、その拳をきつく握り締めた。 「血の繋がりも、名前も……なにも共有する物はない」 今や、生徒の少なくなった大広間に、ただそのシリウスの声だけが響く。 数人の下級生がそれを遠巻きに見つめ、恐々といった感じで大広間から出て行った。 「にはセブルスがいるだろう。何かあれば、奴が彼を守る。俺なんか……彼に必要のない人間だ!」 シリウスは荒い息を吐きながら、テーブルに拳を打ちつけた。 「……じゃあ、現に彼が辛そうなのは何故なんだい?彼にはセブルスがいる。でも、それでも彼が辛そうなのは……どうしてなんだい?」 「………」 リーマスはその瞳から青白い炎を迸らせると、冷たい声音で再度シリウスに質す。 「……ねぇ、どうしてだと思っているんだい?シリウス」 シリウスはそれには答えず、ただ握り締めた自分の握り締めた拳を睨んでいた。 「……それはね、彼が……いや、今の君に言う必要はないね」 そう言ってリーマスは椅子から静かに立ち上がる。 リーマスは氷のような瞳でシリウスを見下ろすと、片手でシリウスの肩をつかんで自分の方を向かせた。 「君がそのつもりなら……そのまま閉じこもっていればいい。でも……その代わり――は僕が守るよ」 シリウスの瞳に一瞬の動揺が走る。 それは、つまり……。 ドクンと胸が震えているのを感じて、シリウスは思わず左手で胸あたりのローブを握り締めた。 ドクン、ドクンと頭の中で血管が脈打つ音が聞こえる。 「僕が、彼を支える」 「リーマス……」 リーマスの余りにも真剣な瞳に、シリウスは言葉を無くしたようにただ彼を見上げる事しか出来ない。 リーマスは今一度シリウスの瞳を見据えると、そのまま無言で踵を返した。 カツリ、カツリと規則的に遠ざかるリーマスの後姿を、何処か他人事めいた様子でシリウスは見送る。 ありえない話ではなかった。 バサリ、と屋根から雪が滑り落ちる音が、断続的に遥か遠くで聞こえる。 シリウスはうめく様に自分の拳に額を預けた。 「……ちっくしょ……」 真っ暗な闇の中、はたった一人寮の自室の窓から外を見下ろしていた。 深々と降り積もる雪に月の光が反射して、まるで小さな花火のようだとは思う。 は窓の横にしゃがみ込むと、その腕の中に顔をすっぽりと埋めた。 冷たい風が、まるでゴーストの手のようにの背を撫で上げる。 はゾクリと背中を震えさせると、その腕をしっかりと抱いた。 同室の友人達は既に深い眠りの世界へ落ちている。 は窓辺にしゃがみ込んだまま、彼らの寝顔をチラリと垣間見た。 安らかな寝顔。 は再び腕の中に顔を埋めると、呟くように一人ごちた。 「……壊したくない」 ふわりとカーテンが揺れる。 「壊せないよ……」 彼の呟きはカーテンの衣擦れの音にかき消された。 はのろのろと視線を足元にやると、数日前の……『日刊予言者新聞』の号外を拾い上げる。 ――名前をいえないあの人が積極的に仲間集めをはじめている……。 シリウスは嘘だと言ったが、には解っていた。 これが嘘ではない事を……そして、それが自分たちにどんな被害を齎すかを。 は苦痛に顔を歪ませると、嗚咽を押し殺すように唇を噛み締めた。 ちらりと見えた、未来。 その映像には、自分の前に現れたヴォルデモート卿の姿。 彼は微笑みながら彼に手を差し出す。 そうして、彼の口はこう動くのだ。 ――『君が我らとともに有るのなら、君の周りの人物の安全は保証しよう』 は激しく頭を振った。 これが夢であってくれればいいのに! 何度、そう願っただろう。 しかし、それは叶わぬ願いだった。 何故なら、今まで見たこの種の映像は、いまだ嘗て外れたためしがないからだ。 彼の瞳は未来を見抜く。 断片的に転がり込んでくる未来を、見たくもない行く末を見てしまう、残酷な能力。 勿論――ヴォルデモートの狙いも、それだった。 戦いの常として、情報ほど貴重な武器は無い。 それが現在に近ければ近いほど、価値は高くなる。 では……最高の情報とは何か? それは、未来の情報だ。 は再び激しく頭を振った。 未来の情報……予知能力が高ければ高いほど、その情報が有用であるなどと嘘だ。 事実にとってこれほど役に立たない能力はない。 未来の情報というのは、それを有効利用できるから役に立つのだ。 例えば近い将来にある男性が溝につまずいて怪我をしてしまう未来が見えたとする。 もし、がその男を見つけて、彼の未来を教えて彼の怪我を回避させることが出来れば、その情報は有用だ。 だが、その男がの情報を信じなかったら?信じても、それでも注意が足らなかったら?結果、彼は怪我をする。 つまり、の予言は的中したが、この時点で予知の有用性はなくなるのだ。 よく当る予知ほど使えない物は無い……はそう思う。 そして残念な事に……彼の予知の的中率は100%だった。 自分が見た未来……。 雪の降る日、ヴォルデモートが自分の前に訪れ、自分に手を差し出す。 この予知を的中させない為にはどうすればいい? ホグワーツの外に出ればいい? 否、今更離れた所で遠くへはいけまい。 ダンブルドアに相談する? 否……今彼はここには居ない。 自分の両の目を潰す? ……否、それで未来が見えなくなるとは限らない。 ――無理だ。 この予知も的中してしまう……! に、選択の余地は無い。 自分の命など、どうでもいい。 だが、彼にとって、彼の周りの人物の命より……他に大切な物など無いのだから。 例え、彼の言う事に偽りがあるとしても……。 は硬く瞼を閉じた。 「……シリウス」 の呟きは、ちらちらと舞い落ち始めた雪の積もる音にかき消された。 開け放たれた窓からは、天使の羽が落ちてきたかのように粉雪が舞い込んでくる。 は絶望的に瞳を上げた。 ふわり、と生暖かい風がの頬を撫で上げる。 は僅かに身じろぎをして、虚空を見つめた。 瞬間、目の前に黒いカーテンが引かれ、はその瞳を硬く閉じる。 その後に聞こえてくるのは、僅かな笑い声。 真っ暗な、新月の夜の闇のカーテンのようなローブを纏った……優雅な容姿の男。 「――やぁ、はじめまして……かな。ミスター・スネイプ。でも、君には見えていたんだろうね、この……未来が」 そういうと、声の主はふわりと品の良い笑みを優雅に浮かべた。 「そうであれば……わたしがここに来た理由も――解っているのだろうね?」 は、力なくその男……ヴォルデモートの言葉に頷いて、彼を見上げた。 |
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