BLACK 〜AIR〜

リーマスは雲間から気まぐれに顔を出す黄金色の弓を、図書室の窓から視線だけで見上げた。
段々と、満ちてくる月。
それを忌々しげに見つめると、リーマスは逃れるように視線をはずしてランプの明かりの下で揺らめく分厚い本に目を落とした。
「……なつかしいな」
リーマスはよく、学生時代にも夜中の図書室に通った。
当時は勿論、このように堂々とランプの明かりを灯して机に資料を広げるのではなく、仲間の一人ジェームズの持つ最高の宝の一つ「透明マント」の中に狭苦しく数名で押し合い圧し合いしながら隠れ、できる限り小さなランプの光でひっそりと訪れたのだが。
その内容も今とは全く違う。
悪戯のための資料を見つける為、ピーターの間に合いそうもないレポートを手伝う為、そして……彼らがアニメーガスになる為のヒントを得る為……。
それでも、今となっては最高の思い出だ。
この暗く広い空間で、たった一人ぼっちのような寂しさを感じる事は無かったのだから。
リーマスはランプの光で揺らめき、今にも踊りだしそうな資料の文字に視線を這わせた。
――狼男……満月になるとその容貌を劇的に変化させ、自らの欲求を満たす為だけにヒト族を襲う――
その通りだ、とリーマスは思う。
まさに、自らの欲求を満たす為だけに夜を徹する。
変身を遂げる際の身を引き裂かれるかのような痛みの後は、ただもう自分の欲望を満たす為だけに森を徘徊するだけだ。
僅かに働く理性では「噛みたくない」と思っているのに、心の奥底からは生々しい欲望が次から次へと湧き上がる。
噛みたい、噛みたい、噛みたい、噛みたい……。
じわり、じわりと本能に忠実になれと心が叫び声を上げる。
ヒトを噛む例えようも無い快感に胸を躍らせながら、そんな感情を忌み嫌う自分。
壊れてしまいそうだ。
だが、なぜ自分は狼男なのかだの、なぜ自分でなくてはならなかったのかだの、そう言った感傷的な気持ちなど、当の昔に萎えた。
そんな事は考えてもキリが無い。
問題はそんな事ではないのだ。
なぜ自分の心がこんなにも苦しいのか……リーマスの問題はそこにあった。
ふぅ、と溜息をつくと、リーマスは分厚い本を閉じる。
考えても仕方が無いのだ。
この気持ちは、消える事は無いのだから。
カタリ。
「……!」
人の気配にリーマスは思わず身を強張らせ、直後に思わず苦笑を漏らした。
「……嫌な条件反射だな」
リーマスは軽く頭を振ると、苦笑したまま立ち上がった。
このホグワーツの教師となった今となっては、例え夜中に出歩いていたとしても何の咎にもならないというのに、未だにあの頃の癖が抜けない。
今にも管理人のフィルチの生徒を追いかける苦々しげな形相が目に浮かびそうだ。
けれど今の彼の目標物は自分ではない。
リーマスは資料を手早く本棚に戻すと、不謹慎だが愛すべき自分の後輩を守るべく図書室の扉を開けた。
「……?」
てっきりフィルチが夜中の見回りをしているのだと思ったが、どうやら違ったらしい。
広い廊下にはフィルチのランプの明かりも、ミセス・ノリスの鳴き声も聞こえない。
リーマスはランプの明かりで廊下を照らすと、訝しげに眉を顰めた。
床の上についた、真新しい足跡の水溜りがランプの光を反射してゆらゆらと揺れる。
リーマスはランプの光を更に掲げて、足跡の先を目で追った。
学生の悪戯か?
ゆらりゆらりとランプの光を反射する水溜りは妙に幻想的で、こちらへ来いと手招きしているように見える。
点々とまるで道標のように続くそれを、リーマスは誘われるままに追った。

「……ここは……」
リーマスは水溜りの終着点を確めるかのようにランプを掲げると、思わず声を漏らした。
視線の先にある物は、がダンブルドアによって与えられた執務室だ。
リーマスはザワリと心臓に駆け上がる痺れを落ち着かせると、その扉をランプの光で照らし出した。
「……?」
ゆらりとランプの炎が重厚な扉を照らすと、リーマスは思わずその瞳を訝しげに細めた。
扉が、薄く開いている。
しかし、その扉の向こうからは本来あるべきはずの光が漏れてはおらず……ただ闇と静寂と室内へと続く濡れた道標だけが垣間見えた。
今し方部屋へと戻ってきたのなら、ランプの一つも燈っていてしかるべきだろうと、リーマスは思う。
リーマスはそっとノブに指をかけると、その扉をゆっくりと押し開いた。
「……?」
返答は無い。
リーマスは扉をゆっくりと総て押し開くと、視線を室内へと走らせた。
「……いないのかい?……」
そう言いながら、リーマスはこの室内で唯一微かな光の漏れる窓辺へと視線を投げた。
瞬間、リーマスの心臓はまるでそこだけ別の意志があるかのような勢いで跳ねる。
月明かりの中、たった一人濡れそぼったが窓辺に身体を預けていた。
リーマスはまるで身体中の時が止まったかのように、指先一つ動かす事が出来ない。
その髪から雫が滴り落ち、白い頬を、首筋を伝いすべり落ちる。
しかし、その濡れたように光る瞳だけは、窓の外を眺めたまま動かなかった。
ツ、と再び雨粒がの頬を伝い、肩口に染み込んでいく。
あまりにも扇情的で美しいその光景に、リーマスは眩暈を覚えた。
再び降り出した雨が、ガラス窓を柔らかく叩き、雨粒を洗い流していく。
「…………」
リーマスは掠れた様な声を絞り出すと、僅かに震える足を叱咤しながら窓辺へと近づいた。
「……そんな格好でいたら……その……風邪を引く」
リーマスは出来る限り平静を装って尤もらしい事を口にした。
「着替えた方がいい、うん」
ふと、緩慢な動作で、の瞳が傍らに佇むリーマスを捕らえる。
「リー……マス?」
長い睫毛に縁取られた、青い宝石のような濡れた瞳がリーマスの瞳に向けられる。
ポトリ、と髪から雫が一滴滴り落ちた。
「そうだよ、僕だ。なぜ、こんなに濡れたまま電気も付けずに……いや、そんな事は後でいいね。まずは着替えをしなくては」
リーマスは激しく打ち付ける胸の鼓動を押さえつけ、視線を逸らす。
駄目だ、このままでは――。
リーマスは視線をそらせたまま手近にあった大き目のタオルを掴むと、の肩を包むように被せた。
瞬間、ひやりとした感覚がリーマスの指先を包む。
リーマスは驚いたようにの肩を掴んだ。
のやせた肩は、まるで氷のように冷たく熱を失っている。
「……!身体がこんなに冷えている!一体どれだけ雨の中を――」
言いかけて、リーマスの心臓が早鐘を鳴らす。
彼の深い海の色をした瞳が、自分を捉えていた。
「……寒い」
そのいつもの赤味を失った唇が、微かに動く。
「あ、当たり前だろう!こんなに身体が冷えていては――」
「違う……」
「……え?」
はその形の良い眉を僅かに寄せると、震えるように言葉を落とした。
「心が……寒い――」
ゾクリ、とリーマスの背に冷たい電流が走る。
駄目だ、いけない――!
の瞳は、満月だ。
自分の醜い本能を暴く、闇夜に浮かぶ強い光。
自分の理性をいともたやすく崩してしまいそうになる。
理性では、壊したくないと思っているのに。
彼を、この関係を、そして……心の箍を。
なのに、心の奥底からは生々しい欲望が次から次へと湧き上がるのだ。
彼を愛したい、愛されたい、口付けたい、抱きしめたい……。
じわり、じわりと本能に忠実になれと心が叫び声をあげる。
彼を抱く例えようも無い快感に胸を躍らせながら、そんな感情に恐れを抱く自分。
壊れてしまいそうだ。
心が悲鳴を上げる。
壊せ、壊せ、壊せ。
駄目だ、駄目だ、駄目だ。
駄目?何故駄目?怖い?自分が?彼に嫌われてしまうのが?自分の臆病さ加減が?
氷の鎖が、リーマスの心臓を締め上げる。
ただ、雨の音だけが不規則に窓を叩き続けた。
「……寒いんだ、リーマス……」
ツ、と彼の冷たい白い頬を、雫が一滴伝った。
冷たい雫が、の肩に置いていたリーマスの手に落ちる。
リーマスは、ただ衝動的にの唇を奪った。
肩を引き寄せ、何度も激しく唇を重ねる。
息継ぎをする間もなく、噛み付くような勢いで何度も唇を貪り、そのの細い背を抱き寄せた。
「……っ」
僅かに漏れる吐息を聞いて、リーマスはまるで思考に靄がかかったかのような熱い感覚を感じる。
熱く激しい電流が背を駆け上り、眩暈がするほどの快感が身体中を駆け抜けた。
長い長いキスの後、の腕がリーマスの背に回される。
「お願い……お願いリーマス……。今日だけでもいい、今だけでいいから、俺の傍にいて。同情でもいい、哀れみでもいい……今日だけは……俺を、一人にしないで……!」
リーマスはそれに答える代わりに、再びに深く口付けた。








おや、こんな所を見つけてしまわれたのですね……。
すみません、すみません、本命のシリウスやセブルスとのラブシーンは殆ど無いのに(セブルスに至っては兄弟設定なのだから仕方が無いのですが……。そっれでもいずれ外伝でセブルスのサイドストーリを書く予定なんですが)リーマスとの浮気DEラブシーン……(死)。しーかーもー、実はこの続きが裏にUPされてしまっていたりします。今回は珍しく本編が短くてどうしたんだろうとお思いの方も(そうでない方も)おられたでしょう。実は残りは裏なんです(死)。
もし、興味がある方がいらっしゃいましたら、OUTSIDEをお読みになり、リンクを見つけてやってください。
……ってか、シリウスとのラブシーンはあるのだろうか……。予定では連載中には……ゲフ!
朝比奈歩 拝
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