WHITE 〜BLIND〜 |
月が、揺れている。 否、揺れているのはの視界だ。 何処か遠くで聞こえる低く冷たく響き渡る声に曖昧に頷きながら、は黒い夜の色をしたローブに視線を戻した。 「……わたしがここに来た理由も――解っているのだろうね?」 その声は何処か聞く者を圧倒し、竦み上がらせ、魅了する……不思議な響きを持っている。 「……その瞳に、映ったのであろう?――自分の未来が」 ただ項垂れるように、は弱々しく頷いた。 月が揺れる。 星も揺れる。 ゆらゆらと、自分の意思とは無関係に、彼の言葉に引き込まれそうになる。 は僅かな反抗を見せる様に、その唇を噛み締めた。 どうしたらこの場を切り抜けられる? どうやったらこの者を出し抜ける? は回らない頭でそれでも必死で考えた。 あの映像を見たときから数日……はその事ばかり考えていた。 しかし、打開策は見つからない。 それでも、今この場を切り抜ける為には、何か策を講じるしかないのだ。 相手は、このダンブルドアに守られたホグワーツに、実体ではないとはいえ単身乗り込むことが出来る人物。 例えがどれほど優秀な生徒とはいえ、今の彼に勝ち目は皆無に近かった。 「お前に、選択肢は無いはずだ」 その声音は気味が悪いほど優しく、の心臓を鷲掴みにしてしまうほどに冷たく染み込んでいく。 「――解るな?お前には……選択肢は一つしか無い」 冷たいゴーストの様なヴォルデモートの指先が、ツ、との頬をなぞり上げる。 ビクリ、との背が跳ねた。 「僕の力は……戦力にはならない」 震える声で、は首を横に振る。 「それはお前が決める事ではない。それを決めるのは私だ」 冷たい、有無を言わさぬ声が頭に降り注ぐ。 は気圧されそうになる心を何とか繋ぎとめると、それでも気丈に首を横に振った。 「嫌だ……僕にはお前が望むような特別な力なんか無い!」 「……強情な子だ」 ヴォルデモートはそのの頬をなぞっていた指を顎にかけると、グイと力任せに自分の方に視線を向かせた。 「だが……お前には判っている筈だ。お前の未来が……私と共にあるという事を。お前はその未来を映す青い瞳で、その情景を見たのだから」 ヴォルデモートの喉が不気味に鳴った。 「そして、お前はこの私に逆らう事など出来ない。なぜなら……お前の答えと、ここに居る者の命は秤にかけられているからだ……。それが証拠にお前は……反抗的な態度を取りながらも、一度もハッキリと『お前の元には行かない』と明言してはいないのだから」 ヴォルデモートの赤い瞳が、ギラリと光った。 は、爪が食い込むほど拳を握り締める。 たった今ヴォルデモートの言った事に、反論の余地も無い。 は未だ何も知らずスヤスヤと眠る友人たちの顔を眺めた。 彼らを巻き込む事は、どうあってもできない。 仲の良い友人たち……ユーリ、ウィリアム、ダレン、ブライアン、ジェームズ、リーマス、リリー、ピーター……そしてシリウス。 彼らを巻き込む事などどうして出来よう。 自分さえここで首を縦に振れば、彼らの命は助かるのだ……例え、それが一時だけのものだとしても。 たが、それだけの時間があれば、彼らはダンブルドアによって永遠に救われるかもしれない。 がホグワーツから消えた事を知れば、ダンブルドアは今以上に学校の警備に力を入れるであろう。 は今一度月明かりに照らされた友人たちの寝顔を眺めた。 もう、2度と会う事が出来ぬかもしれない物たち。 いや、例え合間見えることがあったとしても、もう友人としてではない。 もう2度と……彼らの笑顔を見る事は出来ない立場になるのだから。 「……さぁ……どうする?」 ヴォルデモートの冷ややかな笑いが部屋に冷たく響く。 は指先が白くなるほど拳を握り締めたまま、再びヴォルデモートのぞっとするほど赤い瞳を見上げた。 「……僕がお前の元に行けば……彼らの命は本当に奪わないんだな?」 「よかろう、今はまだ……な」 ヴォルデモートは満足げにそう笑うと、その闇の色のマントを肩で軽く揺すった。 「……解った……僕は……」 「ほう……自らを最強の闇の魔法使いと仰るお方にしては、随分と規模の小さな活動をなさっているのですな……?」 不意にの言葉を遮った声に、とヴォルデモートはすばやく視線を扉へと向ける。 「……何者だ」 ヴォルデモートは一瞬にしてその笑みを顔から消し去ると、怒りに満ち溢れた声で扉の前に立つ人物に質した。 その人物はコツリと小さくヒールを鳴らすと、月明かりの下までゆっくりとその姿を現す。 「……なっ……セブルス!」 瞬間的には小さく悲鳴に似た声をあげると、セブルスの表情を信じられないような面持ちで見上げた。 「どうして……どうしてここに?!」 「……煩い。私はヴォルデモート卿と話をしているのだ。黙っていろ」 の問いに感情の無い声色で答えると、セブルスは相変わらず嘲笑を交えたような表情でヴォルデモート卿を眺めた。 「……貴様は誰だ?」 「セブルス・スネイプ。彼の兄ですよ……貴方の想像通り」 セブルスはそう言って更に一歩足を進めると、その腕を優雅に組んだ。 「それで、その兄が一体どういった用件だ?」 ヴォルデモートはそう言ってセブルスをその赤い瞳を細めて見下ろすと、フンと鼻で笑う。 「貴方の愚かさを進言する為にやってきたのですよ、ヴォルデモート卿」 「私を……愚かだと?」 「ええ……愚かですね。この上なく」 セブルスはヴォルデモートの怒りの視線を受けても怯むことなく、言葉を続けた。 「まさか貴方ともあろう人が……こんな子供一人を仲間にする為だけに多くの危険を冒して実体ではないとはいえ、このホグワーツに潜入してきているのですから。もし今……ダンブルドア校長が帰ってきたとしたら、どうなさるおつもりか?」 セブルスはその表情を崩さぬままそこまでを言い切ると、その肩を盛大に竦めた。 「……貴様がダンブルドアを呼び戻したとでも言うつもりか?」 ヴォルデモートは疑わしげにそう質すと、セブルスは無表情でそれを否定する。 「まさか。わたしは可能性の話をしているだけですよ」 「では貴様はわたしに何が言いたい?」 セブルスは僅かに怒気を含んだヴォルデモートの声に組んでいた腕を解くと、しっかりとその視線を彼の赤い瞳に固定させた。 「解らないのですか?貴方は仲間にする相手を間違っていると言っているのですよ」 「……なに?」 ヴォルデモートは僅かにその瞳を見開くと、セブルスのその暗い色をした瞳に視線を合わせた。 「貴方はこの者――が、貴方に対する恐怖で支配できると思っている。だがそれは間違いだ。この者は恐怖でなど支配できない」 「………」 ヴォルデモートは僅かに瞳を細め、セブルスを眺めた。 「例え今後この者の友人たちの命を盾に取ったところで、彼らはここホグワーツに……貴方の唯一恐れるダンブルドアの庇護のもとにある。そんな脅しになど屈しはしない。自ら命を絶って終わりにするでしょうな」 セブルスはそういうと、挑戦的な瞳でヴォルデモートを眺めながら続けた。 「わたしにはホグワーツに入ってこの者たちを殺してしまう事など容易だ」 「それは今だからでしょう。今後……彼がいなくなって、ダンブルドアが事態に気がついて、何らかの対策を施してしまえば、もうそれは不可能だ」 「………」 「もう一度って差し上げましょう。貴方はダンブルドアを恐れている。それが解らぬほど間抜けではない」 セブルスはそう言うと、チラリとに視線を這わせた。 「更に加えれば、今のままを仲間に加えたところで、彼は貴方に忠誠を尽くす事は無い」 「……それで?」 ヴォルデモートはその闇の色のマントを風にはためかせながら、セブルスを見下ろす。 「そこまで言うからには、何かそれに替わる考えが、貴様にはあるということなのだろう?」 ヴォルデモートの問いにセブルスは頷くと、ゆっくりとからヴォルデモートへと視線を戻した。 「わたしを……貴方の配下にすればいい」 「なっ……何を言ってるの!セブルス!」 「ふん……貴様を?」 ヴォルデモートは可笑しげにそう繰り返すと、とセブルスの顔を交互に見比べた。 「わたしを貴方の下に置けば、は貴方に従わざるを得なくなる。わたしはにとってダンブルドアの支配を離れた、貴方の人質となりえるのだから。そして貴方は危ない橋を渡らずにわたしを通じての情報を得る事が出来る」 「ほう……」 「加えて、貴方は自分の配下をダンブルドアの支配下に送り込む事が出来る……それも、ホグワーツの生徒というもっとも自然な形で」 「セブルス!やめてってば!」 溜まらず、の悲痛な声が室内に響く。 しかし、セブルスもヴォルデモートも意にも介さないかのようにお互いを睨みあったまま動かなかった。 「……面白い、気に入った。貴様を仲間にしてやろう」 永遠に続くかと思えた沈黙の後、ヴォルデモートのくぐもった様な笑いが静寂を破った。 「貴様はどうやら頭も働くようだし、利用価値もありそうだ。……だが、それよりもわたしは貴様のその野心が気に入ったのだ。このわたしをも恐れず、尚且つ狡猾で、抜け目無い、その性格が、な」 「……いつ寝首を掻くとも限らないわたしの性格がお気に召すとは、余裕のある事ですね」 「ふん、恐怖に縛られるだけの者は、容易に裏切りを行う。あやつらはわたしの言うことを聞くだけの捨て駒に過ぎん。貴様たちのような狡猾な者は……操りがたいが優秀な手駒になりえるからな」 ヴォルデモートはそう言うと、その瞳にいい得ぬほどの野望を剥き出しにした笑みを映す。 その瞳はゆらゆらとセブルスを映し、さらに呆然とその場に立ち尽くすの怯えた表情を映し出した。 「貴様の弟の処理は貴様に任せる……セブルス・スネイプ」 ヴォルデモートはそう言うと、その実体の無い指を軽く鳴らした。 「……っ!」 瞬間、青白い炎がセブルスの左腕を覆い尽くすように取り巻く。 まるで意思を持っているかのような青い炎はゆらゆらとセブルスの腕を這い上がり、彼の左腕を総て嘗め尽くすと、霧のようにふわりと消えた。 「それは貴様がわたしを裏切らないように縛る呪だ。永遠に消えぬ、臣下の証」 ヴォルデモートはそう言って喉を鳴らすようにして笑うと、その視線をセブルスの左腕に向けた。 その腕にはくっきりと痣のような暗黒の印が焼き付いている。 「……っセブ……!」 「触るな!」 「……っ!」 再びヴォルデモートは喉の奥で笑ったような声をあげると、その闇の色のマントをバサリと翻し、その姿を闇に溶け込ませた。 「クックック……麗しい兄弟愛よな。せいぜいその絆で……わたしを楽しませてくれる事を期待している……」 ヴォルデモートの最後の言葉に、セブルスの瞳が揺らめく。 は一瞬セブルスが知らない人間のように思えた。 「セブルス……何故?」 はザワリと心を這い上がる恐怖を押さえつけながら、未だにヴォルデモートの掻き消えた虚空を眺め続けるセブルスに弱々しく問い掛けた。 「何故……あんな事を……」 「お前には……関係の無い事だ」 セブルスは左腕に残る鈍い痛みに耐えながら、低く呟いた。 「関係無いわけないじゃないか!だって、セブルスは……」 「黙れ!」 「……っ!」 の肩が怯えたように震えた。 「……今後、わたしに対する口答えは一切禁ずる。そして、わたしの命令には必ず従え」 「でもセブルス……」 「言った筈だ、わたしの命令に従えとな」 セブルスは感情の無い瞳でそう低くを制すると、ローブを翻した。 「いいか、今日あったことは……誰にも話すな」 「セブルスっ!」 「……もう、寝ろ」 の制止の声を聞き流し、セブルスは一度も振り返ることなく後ろ手に寮の扉を閉めた。 「セブルス……」 こんなはずではなかった。 こんな未来は見えてはいなかった。 心臓が早鐘を鳴らす。 はたった今出て行ったセブルスの背を、ただ呆然と見つめた。 |
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