THE DARK HALF −Side Y

01-BITTERNESS

「なあ、……」
半ば諦めた、今日出された宿題の束を手繰り寄せトントンと整理しながら、オレは徐に隣に座っている自分の最愛の人に瞳を向けた。
彼はシャープペンシルを指でくるくると回しながら宛もなく宙に瞳を彷徨わせている。
何を考えているのか?そんなことはもうとっくの昔から判ってはいる。
だが、認めたくなくて考えないように、否、自分に都合のいいように解釈しようとしている。
――また、アイツのことを考えているのか?
手の中にあるレポート用紙をきつく握り締めると、オレは眉根を寄せ瞳を床に這わせた。
アイツというのが誰かと言うことなど知らない。
しかし、一度だけ見てしまった。
彼が至極大切そうに首から提げているロケットの中少年の姿を。
どのような関係で、どのような存在か。
そんなことを言葉に出さなくてもその存在がにとってとても大切だということは痛いほどに解った。
の瞳に映るものは自分では、ない。
「んっと……茶でも淹れてくるかな」
オレは考えを振り払うように席を立つ。
それ以上は考えてはならないことだ。
――まったく、このオレがこんなに無い頭絞るようになるなんてな。
オレは無言で頭を掻いた。
「オヤジ自慢の新茶が入ったんだぜ。凄えウマいから、飲んで行けよ」
「あ、悪い。ボーっとしてた」
「気にすんなって。どうせ今から休憩の時間にしようと思ってたんだ」
「つーか、お前が休みたいだけじゃね?」
「ま、それもある……ていうか、それが大半」
そう言ったオレの頭を、は丸めたレポート用紙で小突いた。
「痛って!」
は笑いながら、初めてオレの姿をその瞳の中に捕らえた。
「ま、オレも考え事してたし、この位で許してやるよ。でも、成績は上げてもらわないとオレが親父さんにスシ奢って貰えなくなるだろ」
いつものように軽口をたたいて、少し上にある自分の顔を見る。
不意に絡まる視線に、オレは思わずの瞳を見つめてしまった。
はほんの少し首をかしげると、困ったようにかすかに微笑む。
「武?なんだよ、どうかしたか?」
「お前さ……何か、苦しんでるんじゃないか?」
「苦しむ……?」
突然のオレの言葉に、は動揺を隠せなかった。
飾り気の無いストレートな言葉だからこそ、いつものようなポーカーフェイスが出来ないのだろう。
「心がここに無いことくらい、オレにだって判る。オレはそんな頭良くはないけど、その位解らねぇほど馬鹿でもねーぜ」
「……自分ではいたって普通のつもりなんだけどな。やっぱ出てるか、顔に」
「どうだろうな。顔色だけで言ってるわけでもねーし……」
そこまで言って、オレは言葉に詰まった。
それはつまり、自分がいかにを見ているか、ということを告白しているようなものだからだ。
「武は優しいな」
「そりゃ、お前の方だろ」
「そんなんじゃねーよ」
そう言いながら、は窓辺に目を向けた。
長い睫が夕日に揺れて煌く。
その綺麗な横顔は変わらない、あの時から……。


「げっ!でけぇー!」
「ははっ、ゆっくりしていけよ」
夏休みイタリアに旅行に行った時、オレはディーノさんの家に世話になった。
まあ、あの人の周りは日本でもそうだが、特に部下からの信頼が厚い。
確かに、自然に部下がディーノさんの周りに集まってくるっていうのは見ていても解る。
だから、部下がとても多い。
そうなると自然に屋敷が大きくなってしまう、と笑っていた。
「ボス、お帰りなさいませ」
「あぁ、ただいま」
「お帰りなさい、ボス!」
「ああ、待たせたな」
そんな会話が廊下を歩く度に聞こえてくる。
「お帰りなさい、ボス」
「ああ、ただいま」
「あの……」
この屋敷に来てから、もうお馴染みの光景が始まるかと思いきや、今回はちょっと違った。
「ん?」
ディーノさんが不思議そうな顔でその部下を振り返ると、その部下はニヤリと笑いながらディーノさんになにやら耳打ちする。
「……なっ!が?」
とたんにディーノさんの相好が崩れた。
「ええ、昨夜から。今は中央の客間にお通ししております」
「それで構わない。山本はその隣の部屋を使ってもらおう」
大半はイタリア語のためオレには何を言っているのかは解らなかったが、とりあえず「」という単語と、自分の名前が挙がったのは解る。
「山本、部屋に案内するよ」
ディーノさんは至極嬉しそうな顔でそう言うと、オレを促した。
さんさんと光を浴びた緑の庭が良く見える美しい廊下の角を幾度か曲がり、オレは一つの客間へと通された。
重厚なドアを開くと、そこには高級な調度品の数々が並んでいる。
部屋の広さも兎に角大きい。
オレは高い天井を見上げて、思わずため息をついた。
「荷物置いたらこっちに来いよ。紹介したい奴がいるんだ」
「え?あ、はい」
そう言うと、ディーノさんは挨拶も無く行き成り隣の客室らしき扉を勢いよく開けた。
「……!」
「よ、デイーノ。邪魔してるぜ」
ふわり、とさわやかな風が吹いたと錯覚させられるような、見ほれるような笑顔で、彼はそこにいた。
多分……彼で合っていると思う。
顔立ちはボーイッシュな美少女を思わせるような中性的で繊細なつくりをしているが、その表情からは悪戯っぽい気性が現れている。
ディーノさんは彼――にきつく抱きしめるようにハグをすると、彼は苦笑してディーノさんを引き剥がした。
「相変わらず暑苦しい」
「いいんだよ。コレがオレの愛情表現さ」
「余計暑苦しいだろ」
カラカラと鈴の鳴るような声で笑うと、不意に彼の瞳がオレを捉えた。
「……で、紹介しろよディーノ。彼は?」
「ああ、こいつは山本、山本武。日本でのオレの友人さ」
ニコニコと、上機嫌な様子でオレを紹介する。
「山本武だ、よろしくな」
「武か。オレはだ。よろしくな」
ふわりと笑ったその笑顔は、時速155kmでストライクゾーンど真ん中に直球でオレの心臓を貫いていた。


「……おい、武。何ニヤニヤしてんだよ、エロい顔しやがって」
「……ん?」
不意に、思考が引き戻される。
「思い出し笑いする奴はスケベなんだぞ」
「男って皆そんなもんだろ?」
「爽やかに肯定するところじゃねえよ」
「はははっ」
一頻り笑うと、オレは良い具合に蒸された茶を湯飲みに注ぐ。
香ばしい、しかし甘く上品な香りが鼻孔を突いた。
「ん、良い香りだな」
「だろ?オヤジのお気に入りなんだ」
「いいのか?そんな貴重なもんオレに出して」
「いいんだって。むしろが来るって言ったら、オヤジが出してやれってさ」
そういいながら湯飲みを渡す。
程よい暖かさが掌を包み、その甘い香りと共に緊張を解けさせていくのを感じた。
一口啜るとその自然の甘みが口に広がる。
オレは目を閉じた。


イタリアにいる間、オレの頭の中には常にがいた。
無意識にその姿を目で追っている。
その日もそうだった。
窓の外を眺める横顔。
揺れる木の葉の影がゆらゆらと肌を彩り、そのコントラストがより肌の白さを強調していた。
その瞳は何処を見ているのだろう。
遠い、ここではない場所を追いかけているように見える。
声をかけようか――そう思ったとき、ふとその瞳が伏せられた。
長い睫が伏せられて2度、瞬く。
――涙?
ドキリと心臓が高鳴る。
その瞳は誰を追うのか……。


「……おい、武!思考飛ばしてないでいい加減戻って来い!飲み終わったらさっさとさっきの続きをやれ!」
「え?あぁ……わりー」
オレはの声で再び手放しそうになった意識を取り戻す。
「ったく。ヤル気ないならオレは帰るぞ」
「わりーわりー。ちゃんとやるから怒るなって」
そう言うとオレは湯飲みを置いて、再びシャープペンシルを手に取った。
いつか、話してくれるだろうか。
甘い筈のお茶の、最後の苦味を飲み下すようにオレは言いかけた言葉を飲み込んだ。



お待たせいたしました、新連載です。
投票の結果、ディーノの票が予想外におおかったため、出演させてみました。
みなさまこれからもよろしくお願いいたします。

朝比奈歩
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