THE DARK HALF −Side Y

Umbrella

しとしとと降る雨の中、オレはただ一人佇んでいた。
見上げても黒い雲が敷き詰められ、懐かしいあの青い空は見えない。
この色はあの時を思い出す。
自然に涙がこぼれた。
止め処泣くあふれる涙も、雨が洗い流してくれるはずだ。
「ねえ、どうしたの?」
不意に感じる体温。
オレは緩慢な動作で振り返る。
温かな左手が、オレの右手を握っていた。
「ねえ、何で泣いてるの?」
握られる右手。
その小さな手の温もりがじんわりと染み渡る。
「雨の中、立ってたら寒いよ。おうち、入ろうよ」
零れ落ちそうな大きな目が、そう言ってオレを見つめた。
「ね、
なぜだがその温もりが無性に懐かしいように思えて、オレは流れる涙をぬぐう事もせずにすすり泣いた。
差し出された傘がこんなにも暖かい。
しっかりと手を握り締めたまま、ツナはオレの横にしゃがみこんだ。
「じゃあ、ぼくも一緒にいる」

『オレが一緒にいてやるよ』

「がはははは!、起きるもんね!ランボさんと鬼ごっこするんだもんね!!」
「こ、こらランボ!は疲れてるんだから煩くするなよ!」
「やだもんねー!遊ぶもんねー!」
「……んあ……」
ぼんやりと遠くから聞こえたような声音に、オレはまだ冷め切ってない脳みそをどうにかたたき起こすと、目の前を黒い塊が飛び跳ねている。
わしっとそれを掴んで目の前に引き寄せると、それはキャッキャと嬌声を上げた。
起きたー!」
「ん……ランボか」
目の前のチビっ子は何が楽しいのかオレに掴まってキャーキャー大騒ぎをしている。
「うわ、ゴメン!煩くするなって言ったんだけど……」
「いや、いいさ。ツナの所為じゃないだろ」
必死で謝るツナに苦笑を返すと、オレは改めて頭を振った。
こんなに熟睡したのなんてどれだけ振りだろう。
この世界に足を突っ込んで以来、たとえ睡眠中だろうが気を張り詰めている事ばかりだった。
だからいつの間にか自然に、浅い眠りで体力を回復する術を身に付けていたのだ。
「夢でも見てたの?」
オレからランボを引っぺがしながらツナがそう問う。
「ん……だな。ガキの頃の夢だ。お前と泥だらけで遊んでた頃のさ」
「ああ、それでよく母さんに叱られたっけ。懐かしいね」
「そうだな」
そう言うと、オレは寝癖の付いた髪をワシワシとかき上げる。
――『オレが一緒にいてやるよ』
聞き覚えのある声だった。
最後の声は誰の声だったのか……。
「どうする、もう朝ご飯出来てるみたいだけど。まだ日本来て3日目でしょ?疲れてるなら、学校明日からでもいいと思うけど」
「いや、そんなにゴロゴロしてたら腐っちまう、行くさ」
「そっか」
「ついでにツー君の愛しの彼女も見たいしな」
「ええええ!なな、何のこと?!」
あわあわと慌てるツナを更にからかいながら、オレは階段を下りる。
「うわ、ちょっと待ってよ!!」


「……え、帰った?」
「ああ、ツナなら獄寺が早退したって聞いたとたん真っ青な顔して出てったぜ」
まずった……オレは思わず舌打ちをする。
オレが学校に潜入して数日、奴らの動きに異常はなかった為に油断していた。
俄かに動きがあったのがこの土日だ。
その真相を調べるためとはいえ、ツナから一瞬でも目を離したのが間違いだった。
リボーンが付いていれば大事には至らないと思うが、場合が場合なだけにリボーンも情報収集のため単独行動をしている可能性もある。
「何かあったのか?」
オレは酷く眉をしかめていたのか、武が珍しく真面目な顔で質す。
「ああ……ただ例の黒耀中が並中にちょっかい出してきてる件に、巻き込まれてやしないかと思ってな」
やつらの狙いはボンゴレだ、本来巻き込まれていないはずがない。
先ほどのディーノとの情報交換でそれが確実となった。
事態は最悪のシナリオへと進み始めている。
あの男がこの件に噛んでいるのだろうか。
オレは再び舌打ちをした。
情報が少なすぎる。
脱獄したばかりの奴らも情報が少ないだろう。
しかし、それ以上にこちらも奴らに関する情報があまりにも少ないのだ。
「……悪い武、オレも早退する」
「あっ、待てよ!ツナを探すんだろ?どうも学校もこのまま休校になるみたいだし、オレも行くぜ」
オレは武の申し出に一瞬逡巡した。
武は一般人だ、それをこんな抗争に巻き込んでもいいのだろうか?
しかし、それと同時に武自身奴らのターゲットでもある。
確実にこの次に狙われるのは武だ。
そうなったら一緒に居た方が安全かもしれない。
「わかった。いくぜ」
「おう」

「うわああ!」
「……っツナ!」
聞き覚えのあるツナの悲鳴が商店街に響いた。
嫌な予感がオレを襲う。
武も同じ気持ちなのか、自然と向かう足が速まった。
細い商店街の路地を飛び出した先に、隼人が倒れている。
「……隼人っ!」
瞬間、金属製のヨーヨーから繰り出される無数の針がツナに襲い掛かった。
「武、ツナを!」
「ああっ!」
声と同時に武がツナの右肩を掴んで引き倒す。
オレは視界の端でそれを捕らえると、そのヨーヨーを腰から引き抜いた鉄扇で受け止めた。
フっという軽い音とは裏腹に鈍い重みが扇を通じて右手に伝わる。
オレは手首を軽くいなしヨーヨーの向きを変えると、それを地面に向けて叩き落とした。
ガッと針が地面に突き刺さる鈍い音がツナの居る位置と反対方向で聞こえる。
「フー、滑り込みセーフってとこだな」
「山本ぉ!」
とりあえずツナは無事のようだ。
オレは僅かに嘆息すると、視線を敵……柿本千種にやった。
さて、どうするか。
こいつ程度の男なら、伸してしまうのは簡単だ。
捕らえて敵の情報を吐き出させる事も出来る。
しかし今一番の問題は隼人だ。
先ほどの針から、僅かだが毒物の匂いがする。
この武器の性質からしてこれは遅効性の毒ではない。
とすれば一刻も早く隼人の解毒が必要となる。
毒物を使う武器のセオリーとして、必ずその武器を使用するものはその毒に対する解毒剤を携帯しているはずだ。
そうでなければその武器で自身を傷つけたとき、その毒を解毒する事が出来なくなるからだ。
「おだやかじゃねーな」
山本の怒りを含んだ凄みの効いた声が響く。
ゾクリ、と背筋に響く声音。
「邪魔だ」
無表情で放った千種の攻撃を軽々としのぐ。
ギィン、と金属のひしゃげる音が響き、武の太刀によってヨーヨーが砕けて弾けた。
オレは飛んできた欠片がツナと隼人にぶつからないように鉄扇を広げ、破片を弾く。
オレはそこで初めて柿本千種に向き直った。
「そうか……お前は山本武……っお前!」
柿本千種が振り返ったオレの姿に息を呑んだのが解る。
「……お前程度のヤツなら、お前がオレに敵うかどうか位解るだろ?解毒剤を寄越したら、今日は見逃してやるぜ?」
オレは出来る限り冷静にそう言う。
しかし、柿本千種は表情こそ変えないものの、狼狽したように呟いた。
「……RAIN?」
「……なに?」
予想外の言葉に、今度はオレが息を呑んだ。
RAIN?今なぜここでその名を呼ぶ……?
「――いや。……解毒剤は持ってない」
「なんだと?」
「めんどいし。オレはヘマしないから。……お前は犬のエモノ。もめるのめんどい」
そう言うと、千種は踵を返し歩き去る。
オレは僅かな動揺を悟られぬよう表情を変えずツナと武に振り返った。
「行かせていいのか?」
気にした様子でもなさそうに武がそう質す。
「ああ、あいつが解毒剤を持っていないなら、隼人の解毒が最優先だ」
「ねえ、獄寺君……大丈夫?」
心配そうなツナの頭をクシャリと撫でる。
「オレが付いてるんだ、下手は打たないさ」
しかし、そうはいっても事態は一刻を争う。
オレはケータイのフリッパーを開くと、シャマルの番号を選んでエンターを押した。
「武、なるべく腹の傷に触らないように隼人を担げるか?」
「ああ、任せとけ」
ツナが武と隼人の荷物を持って後をついてくる。
呼び出し音が聞こえる間にもオレは並中に向かって歩き出した。
『……ん、か?』
「シャマルか?オレだ。一人怪我人を見て欲しい」
『お前か?』
「違う」
『女の子か?』
「隼人だ」
『じゃ、見ない』
「……おい」
『何だよ、怒るなよ。しょうがねーな、今回だけだぞ。その代わり後でチュー……』
気色の悪い事を言われる前に通話終了ボタンを押す。
「保険医のおっさんが見てくれるって?」
武がほっとしたようにそう質す。
「ああ」
しかし、いったいどういうことだろうか。
あの柿本という男はオレを見て「RAIN」と口走った。
このタイミングで別のRAINというコード・ネームはあり得ないだろう。
間違いなくこのメンバーの脱獄を手伝った『RAIN』と同一人物と考えていい筈だ。
オレと同等の頭脳を持ち、オレを思わず「RAIN」と呼んでしまうほどオレとよく似たRAINという人物……。
思い当たる人物は一人。
並中の校門が見えてきた頃、その高い可能性に否が応でも行き当たってしまった。
THE DARK HALF 骸編03へ 

ウインドウを閉じてお戻りください。