Revolver |
青白い月の光に照らされた石畳の長い廊下を歩く、硬質的で冷たい足音が響く。 しんと静まり返った屋敷の中にある気配は自分のものしかない。 まるで月の明かりの寒々とした音が聞こえて来そうなほど静かな夜だった。 長い廊下を渡り、幾度かの角を曲がると、やっと目的の部屋の扉が出迎える。 ザンザスは乱暴に重厚な木の扉を押し開くと、そのまま肩に羽織ったレザーのコートを無造作にソファへと投げ捨てた。 反吐が出る、とザンザスは独り言ちた。 自分に媚び諂うカス共の多さに、また自分に恐れおののくクズ共の多さには辟易していた。 なんでこのオレがそんなカスやクズと食事などせねばならないのか。 9代目の考えは馬鹿馬鹿しくて反吐が出る。 ザンザスは頬に付いた返り血をぬぐう事もせず、机に足を投げ出すようにソファへ身体を沈ませた。 そのまま部屋の明かりをつけることもなく、苛立たしげにネクタイを緩めながら窓の外を眺める。 青い月だ。 それが薄曇のショールを纏い、わずかに隠されるようにして夜空に君臨していた。 まるで自分のようだ、と、不意にザンザスは生温い感傷じみた感情が胸のうちに染み出たのを感じる。 昼の明るく健全な精神的支持者である太陽とは対照的な、暗く静まり返った闇を冷たく支配する月。 くっきりと、濃い闇の中にその白銀色の姿を神々しいまでに浮かべている。 「いつまでコソコソ隠れてるつもりなんだ、貴様」 不意に、闇を切り裂くような声音がザンザスの口から迸る。 視線はやらず、しかしその言葉は焼け焦げてしまいそうな威圧感にあふれていた。 「殺されてぇのか」 低く、呟くように発せられたその言葉が、電流のように無機質な部屋を走りぬける。 ふ、と闇が溶けるように動いた。 「殺せないさ」 「貴様、何者だ」 張り詰めた空気の中、溢れるようなザンザスの殺気が闇の中の声の主の頬を撫で上げた。 「冠さ」 「冠、だと?」 「あるいは、証」 ザンザスの全身から迸る殺気を受けながら、声の主は挑戦的とも言えるほど平然とそこに佇んでいる。 ザンザスは視線だけをそちらに向けると、すばやく相手の姿を確認した。 「つまらねぇ問答するつもりで来たならこの場で消炭にするぞ」 「・」 淀み無くと名乗った男は、ザンザスの言葉にも臆することなくそこに存在している。 「・……?」 ザンザスはわずかに眉根を寄せ、すばやくその名の記憶を捲らせた。 一流以下の部下やファミリーの名であれば、一瞬でザンザスの記憶の中に埋もれてその名は二度と思い出される事はない。 そんなザンザスの記憶に引っ掛かりを感じた名前であれば、それなりに重要な名であるはずだ。 「……貴様、次期ボンゴレの主任補佐か」 たどり着いた記憶にザンザスの眼がわずかに開かれる。 「ああ」 は抑揚なくそう答えると、静かに月明かりの下に姿を現した。 怜悧、と言ってしまって構わないほど彫像のように冷たく整った容姿をした男である。 滑らかな絹を思わせる肌が月明かりに照らされて青白く輝いていた。 ボンゴレ主任補佐……主にサブと呼ばれるソレは、ボンゴレ内部でも極わずかな者しかその存在を知らされていない重要なポストだった。 表向きには頭目秘書のような役割を行っている。 しかし、実際のその仕事は多岐にわたり、表面上ボスの行う事の出来ない汚れた仕事を請合うことも多い。 そして究極に言えばボスのお目付け役であり、いざと言う時はボスを諌めることも出来なくてはいけない。 がサブとしての教育を受け始めたのはわずか3歳であった。 代々のサブは幼い頃から才能のあるものを数名選抜し、極秘に特殊機関によって教育され、その中で最も優秀なものが選ばれる。 教育内容は様々であり戦闘訓練、精神力、経済、外交術、各種学問、語学、機械工学、スパイ技術、そしてファミリーへの忠誠心……そういったものを徹底的に叩き込まれた。 育成途中でも適応外のもの、成績の悪いものは容赦なく振るいにかけられ、厳しく評価される。 はその中でも特に優秀な成績を誇った。 その成績はボンゴレ歴代のサブの中でも1~2を争うと言われていたが、自身はそういった教官の評価をどこ吹く風といった様子で聞き流している。 ――は、退屈していた。 元々頭の回転が速く、運動能力にも優れていた彼は、機関の中でも頭一つ飛びぬけている存在だった。 まるで乾いたスポンジのように、教えられる知識を余すことなく吸い上げていく。 打てば響く、一を聞いて十を知る、その言葉は彼の為にあるようなものだった。 最初のうちは面白かった機関での教育も、あっという間に彼の満足のいくものではなくなった。 教官ですら自分のレベルに合うものがいない。 そのことに気が付いてからは、とたんに世界は色あせたものになった。 自分の持ちえる知性を共有するものがいないと言う孤独は、計り知れなかったのだ。 世界はつまらない、いつしかそんな思考が頭に置かれるようになった。 「……ハッ、来るのが遅ぇだろ」 ザンザスはそう言うと不敵に眼を細める。 「遅い?」 「10代目ボンゴレはハナからオレに決まってるんだ。挨拶に来るのが遅ぇって言ったんだ」 「遅くはないさ」 「何?」 「お前はまだ10代目を継承したわけじゃないだろ」 「なんだと?」 の言葉にザンザスの形のいい眉がわずかに歪められる。 熱い、気の塊のような赤い殺気が部屋にあふれた。 「オレの仕事は、次期ボンゴレを補佐する事だ。まだお前の物じゃねぇ」 抑揚のない声でそう言い放つの相貌に表情は読み取れない。 ザンザスはふ、と殺気を解くとソファに再び身を深く沈めた。 「ハッ、それで冠……か」 クッとザンザスの口角が上がる。 「そうさ。10代目に就任した奴がオレを支配する。オレはボンゴレ10代目を継承した証……というわけだ」 「じゃあ、尚の事さっさとオレの元に駆けつけるべきだろうが」 「勘違いするなよ。周りのボンクラどもが何を言おうが、オレの上に立つってのは生半端な実力じゃ認められねぇんだよ」 「あぁ?」 「オレには決める権利はない、だがあの糞ジジイはちょっと手ごわいぜ」 「9代目の事か」 「ああ」 そう頷くとは初めてその端整な唇を引き上げた。 ボンゴレに対する忠誠心を叩き込まれたものの言葉と思えない、不遜な響き。 しかし、ザンザスはそれをとがめる様子もなくを眺めやった。 「あのジジイ、穏健派で通っちゃいるが、なんか胎に一物もってるな」 「……」 「まだ、何を考えてるのかはわからないが、そうそう柔い道のりじゃ無さそうだ。だから、そう簡単にオレはお前のものになるわけにはいけないんだよ」 ザンザスは足を投げ出した姿勢のまま、凝っと不敵なまでの笑いをたたえるを見つめる。 自分に臆することなく、頭目に臆することなく、極自然に呼吸する目の前の男を品定めするかのような視線。 歴代の頭目に生涯の忠誠を誓ってきた歴代のサブ。 しかし、この男はそんな歴代のサブとは明らかに毛色が違う。 果たしてこの男は大人しく自分に忠誠を誓うかどうか。 いや、大人しくなければその方が面白いかもしれない。 ザンザスもまた、退屈していたのだ。 不意に、ザンザスの薄く開いた唇から笑いが漏れた。 「クッ……気に入った。――お前はオレが手に入れてやる」 月明かりに照らされたの青い瞳が揺らめいた。 「上等だ。それじゃオレを惚れさせるくらいエキサイティングなもの、見せてみろよ。俺が欲しければ… …チカラで奪い取れ」 冷たいリボルバーをこめかみに突きつけあうような、危うい関係。 退屈を埋め合わせるような関係。 ただ、今は、それでいい。 |
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